「葵と杏葉」
葵と杏葉・世嗣編

葵と杏葉世嗣編 第二十九話 新たなる出発・其の貳

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 その日の夕刻、いつものように松根だけを引き連れ斉正は黒門へと向かった。藩主である父・斉直が江戸にいる時を除き、いつも一緒に食事を取る二人である。この時間に黒門へ向かう事自体は格段珍しいことではない。
 ただ、いつもと確実に違うのはまるで果たし合いにでも向かうような厳しい斉正の表情であった。それもそうだろう。今まで培ってきた二人の関係を壊しかねない告白をこれからしようと決意しているのだ。いつものような穏やかな表情を作れと言う方が無理である。

「若君、一体どうなさったのですか?厳しい表情をなさって・・・・・・」

 いつにない深刻な表情の斉正に対し、さすがに心配になった松根が尋ねた。その問いに斉正はいかに自分が緊張していたか気付かされ、はっとする。

「あ・・・・・いや、何でもない。松根、私はそんなに厳しい顔をしているのか?」

 松根を心配させてはならないと斉正は笑顔を作ろうと努力するがうまくいかず、再び緊張に満ちた、真剣な表情になってしまう。

(松根にだけは言っておくべきなのだろうか)

 ただの『夫婦の務め』ならば何とも思わないのだろうが、なまじ下心も見え隠れする恋心を盛姫に対して抱いている分、それをわざわざ告げるのも気恥ずかしい。どうしたものかとしばらく逡巡した後、斉正は覚悟を決め重い口をようやく開いた。

「松根・・・・・・今夜、国子殿に自分の想いを伝えてみようかと思う」

 その瞬間、松根の顔に極上の笑顔が広がった。

「若!やっとその気になって下さいましたか!これで鍋島も安泰でございます!」

 ここ最近、斉正の恋に散々振り回されていた一番の被害者だけに、松根はまるで自分の事のように、否、それ以上に斉正の決意を喜ぶ。その喜びようがやけに照れくさく感じられ、斉正は頬を染めた。

「松根、そんなに大仰に・・・・・・」

 近くにいる者に聞かれたら困るとばかりに斉正はきょろきょろと落ち着きなく辺りを見回したが、幸か不幸か斉正の視線に届く範囲に人影は見あたらない。それだけに松根のはしゃぎ様はますます過熱する。

「大仰にならずにいられますか!とにかく、裏の方は風吹殿にも協力して貰いますので、若はしっかりと姫君様を口説き落として下さい、良いですね!」

 まるで保護者そのものである。そんな松根の言葉に苦笑を浮かべながらも、心強い励ましを受けた斉正の顔にようやく笑顔が戻りつつあった。



 だが悲しいかなその余裕も盛姫の前に出た瞬間、文字通り雲散霧消してしまった。盛姫に対するその笑顔は情けないほどぎこちないし、緊張のあまり箸で摘んだものをぽろぽろ取りこぼす始末である。
 さすがに斉正の様子がおかしいことに気がついた盛姫だったが、その原因が何なのか全く見当が付かない。訝しく思いつつも何となくこの話題には触れてはいけないような気がしたのか、盛姫は斉正に切り出すことが出来ずただ黙々と夕餉を口に運ぶだけであった。
 そしてその時もう一つの『異常』に盛姫は気がついた。いつもなら必ず盛姫の傍に付いているはずの風吹の姿が見えないのである。どうしても盛姫の傍を離れなくてはならない時、風吹は必ず一言残してゆくし、盛姫の食事中に厠へ行くなどという粗相は絶対にしないしっかり者である。そんな風吹が盛姫が気付かぬ内に席を離れているのである。簡単な用事であれば颯やその他の女官達がいるから別に不自由はないが、斉正の表情同様、風吹の行動にも違和感を感じずにはいられない。
 表面上はいつもと変わらないのに水面下には大きなうねりが生じ、自分達を呑み込みそうな不安定な空気の中、それに気がつかない振りをして盛姫は箸を進めることしか出来なかった。



「あの・・・・・・国子殿、少しよろしいでしょうか?」

 違和感だらけの夕餉の時間が終わった直後、思い詰めたような口調で斉正が盛姫に切り出した。

「どうしたのじゃ?そんなに改まって」

 斉正の言葉によって変な緊張が解けた事にほっとしたのか、穏やかな笑顔を浮かべ盛姫はすっ、と左手を挙げる。その合図で傍に侍っていた女官達がしずしずと退出した。
 だが、女官達が退出した後も斉正はなかなか話を切り出そうとはしない。否、切り出したくても切り出せないと言った方が正しいだろう。何かを言いたげに盛姫を上目遣いで見つめながらももじもじと何かを言いあぐねているその姿は、祝言の日に小動物の様に怯えていた斉正を彷彿とさせた。ただあの頃は盛姫より身体も小さく、無理矢理剃らされた月代も痛々しい子供であったが、今はすでに盛姫よりも頭ひとつ背も高いのである。身体だけは一人前の男性になりつつあるのに中身だけは結婚当初のままというちぐはぐさが、却って盛姫に心の余裕を持たせた。

「どんなに身体が大きゅうなっても貞丸は貞丸のままじゃな。まるで祝言の当日の貞丸に戻ってしまったみたいではないか。少し口が回るよう誰かに酒でも持ってこさせようか?」

 斉正の緊張を解こうと何気なく発した言葉であったが、それが思わぬ誘い水となった。三年前の祝言の日のように酒に呑まれてしまうことを恐れたのか、斉正は頭を横に振りようやく重たい口を開いた。

「国子殿・・・・・・もう一度・・・・・・もう一度だけ私にやり直す機会を下さい。国子殿と本当の夫婦になりたいんです!」



 勢いで言ってしまったその瞬間、何とも言い難い嫌な沈黙が二人の間に漂う。言われた盛姫は思いもしなかった言葉を叩き付けられ唖然とし、斉正は恥ずかしさのあまり俯いてしまった。仄かな行灯の光では判らないが、斉正に至っては顔どころか指の爪先まで朱に染まっているに違いない。 だが、ここで引いてしまっては今までと何も変わらないのである。斉正はあらん限りの勇気を振り絞り先を続けた。

「今までもその・・・・・・届け出の上では『夫婦』でしたが、そう言う意味ではなくて・・・・・・あの・・・・・・」

 緊張のあまり喉が渇きすぎてひりひりする。唾を飲み込みたくても唾さえ極度の緊張から出てこない。だが唾以上に出てこないのは続きの言葉であった。
 松根やろくでもない兄に聞いた『懇願』の言葉が浮かんでは消えるが、自分自身のこの熱く切ない想いは彼らからの借り物の言葉では伝えられない。斉正は混乱する頭で何とか考えついた言葉を、喉に張り付きなかなか自由に動かない舌に載せて言葉にしてゆく。

「これから立ち向かって行かねばならぬ藩の苦境を乗り切る為に・・・・・・国子殿との真実の絆が欲しいのです。だから、今夜・・・・・・」

 そこまで言った瞬間、ふわり、と柔らかく甘い芳香が斉正を包み込む。それと同時に斉正の唇が何か柔らかいもので塞がれ、斉正の言葉の続きを奪ったのである。その柔らかいものが盛姫の唇だということに斉正が気がつくまでしばしの時間がかかった。俯いたまま言葉を絞り出していた為、盛姫がそろり、そろりと斉正に近づいてきていたのに気がつかなかったのである。

「ようやく・・・・・・言うてくれたな」

 ただ唇を重ねるだけの拙い、だが長い接吻の後、盛姫が優しく斉正を労う。その声は幾分湿っているように思えた。

「本当であれば年が上の妾から誘い水を向けるべきじゃったのに・・・・・・怖かった」

 思わぬ告白を聞いて斉正はまじまじと盛姫の顔を見つめる。

「風吹と茂義の事、そして溶姫の苦しみ――――――夫婦として一歩を踏み出してしまえばあの者等の苦しみを妾も味あわなくてはならぬのかと怖かったのじゃ。そしてそれ以上に・・・・・・」

「それ以上に?」

 斉正は盛姫の本心を聞き出そうと先を促す。

「貞丸・・・・・・今までのそなたとの関係が壊れてしまうのではないかと」

 その言葉を聞いて斉正は驚いた。まさか自分と同じように盛姫もまた自分との関係が壊れてしまう事を恐れていたとは思いもしなかったのである。つまり、盛姫も自分を異性として想っていてくれていた――――――これほど嬉しいことがあるだろうか。

「壊れるなんて・・・・・・そんな事はありませぬ!私は国子殿を愛しく想っております!」

 押さえに押さえていた想いが一気に爆発し、斉正は目の前にいる盛姫を強く抱きしめる。そして今度は己から盛姫の柔らかい唇へ己の唇を重ねた。それは先程の上品な接吻とは違う、激しいものであった。それこそ盛姫の言葉や息、そして命そのものまでも吸い尽くさんばかりの情熱に盛姫はただ身を任せることしかできない。

「私には国子殿だけです。出会った時からずっと・・・・・・そしてこれからも・・・・・・」

 激しい接吻から盛姫を解放した後も、斉正は盛姫の滑らかな頬に己の頬をすり寄せながら睦言を囁き続ける。その衝動的な行動は『大名の閨事』としては極めて乱暴ではあったが、それを今の斉正に忠告するのは酷であろう。ただ目の前にいる愛しい女性を抱きたい――――――男としての本能のみが斉正を突き動かしていた。だが、焦り、さらに盛姫を貪ろうとする斉正をやんわりと押しとどめたのは他でもない盛姫である。

「貞丸、畳の上に妾を押し倒すつもりか?」

 喉の奥でくすくすと笑いながら、盛姫はするりと斉正の腕からすり抜けた。

「先に寝所で待っていてくれぬか。女子にはそれなりに準備というものがあるのじゃ」

 その時、斉正はようやく自分が何をしようとしていたのか気が付き、恥ずかしさのあまり顔を真っ赤に染めてしまう。確かに昂ぶっていたが行儀の悪さにも限度がある。事もあろうに寝所ではなく先程まで食事をしていた居室で盛姫を抱きしめてしまったのだ。いくら人払いをしているからと言っても許される事とそうでない事がある。

「は・・・・・・はい」

 年上の妻に窘められ、斉正はしゅんと俯かざるを得なかった。



 盛姫の方に『それなりの準備』があるからということで、斉正は一度表に戻り湯を使ってから改めて黒門へと戻ってきた。

「若君様、こちらへ」

 夕餉時には姿を見せていなかった風吹が斉正を案内する。

「風吹、そなた具合が悪かったという訳ではなかったのか?」

 いつもなら必ず盛姫の傍に侍っている風吹が居ないことに斉正も違和感を感じていたのだろう。

「いいえ。松根殿から若君の決意を伝えられましたので、ここを逃してはならぬと急いで閨の準備をしておりました」

 姫君様もこちらから水を向けてものらりくらりと肝心なことを避けておられましたので、というのも忘れず付け加える。

「じきに姫君様もこちらへ参られますので今しばらくお待ち下さいませ」

 そう言い残すと風吹と松根は斉正を一人残して寝所から退出した。いつもと変わらない寝所であったが、唯一違うのは枕元にある犬張子の置物であった。将軍家へ『証拠』として献上した犬張子よりはやや小振りで細工も簡素なものであったが大名家での使用に耐えうる充分な格式のある、未使用のものであった。まさか思い立ってすぐに準備できるものでもないだろうから『いつの日か本当の夫婦になる時に』と風吹当たりが準備していたのかも知れない。
 三年前は自分が酔いつぶれてしまった所為で茂義や風吹にも迷惑をかけてしまったが、さすがに今回はそれはないだろう。斉正が犬張子の頭を撫でながら感慨に耽ったその時である。

「貞丸、待たせた・・・・・・」

 いつもの元気いっぱいの声とは違う、しっとりと大人の色香さえ漂わせる声音で斉正は声をかけられる。その声に反応し、振り向くとそこにはいつもと違う愛しい人がいた。

「国子殿・・・・・・」

 斉正の目の前にいる盛姫は今までになく美しかった。闇よりもなお黒く艶やかな黒髪が結われもせずに背中に流れ、その黒髪に縁取られた整った顔にはいつもはしない、淡い閨化粧が施されている。着ているものもいつもと違い、手をかけたらするりとすべり落ちてしまいそうなほど滑らかな白絹の寝間着を、これでもかというほど襟を抜いて身につけている。あれだけ襟を抜いていたら、確実に抱きしめた時斉正の目に盛姫の白く細いうなじが飛び込んでくるだろう。想像しただけでも斉正の胸は高鳴り、手には汗が滲んでくる。

「国子殿・・・・・・きれい、です」

 まるで夢幻のような姿の盛姫に斉正は手を伸ばす。しかしこれは夢ではなく現実の出来事なのである。その証拠に斉正の指先に触れた盛姫の身体は柔らかく、そして暖かい。そのぬくもりをさらに確かめたくて斉正はさらに腕を伸ばし、盛姫を引き寄せた。



 奇しくも祝言を挙げて丸三年目の霜月二十八日、二人はようやく結ばれた。これから苦難を共にしなくてはならない覚悟と共に、互いの想いを確かめ合う二人はこれ以上はない幸せに満ちあふれていた。この日から斉正が佐賀へ出立するまでの約一年、二人にとって本当の意味での蜜月を迎えることになる。



UP DATE 2010.01.27

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『新たなる出発』其の貳ですvようやく・・・・・・ようやくおこちゃま二人が結ばれました~。ここまで長かったですよ(笑)。あと問題は茂義&風吹←直孝ですかねぇ。この3人も終わっている訳じゃないんですよ、ただ話の展開上藩主編の後半~改革編の前半にならないとちょっと動かせないのです。ツンデレ風吹のファンの方もいらっしゃいますので、できるだけ取り上げたいのですが・・・・・その前に斉正お国入りにからむ諸問題(半端じゃない数があるのでどれを取り上げようか迷っております)が先になりそう。ただ、この三人の恋の関係も今年中には目処を付けたいと思います。

次回は2/3、23:00~の更新となります。そしておまけの宣伝、明後日からこちら本館で新連載を始めますので宜しかったら覗いてやって下さいませv
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