「葵と杏葉」
葵と杏葉・世嗣編

葵と杏葉世嗣編 第二十八話 新たなる出発・其の壹

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 文政十一年冬、非公式ながら茂義によって家督相続の件を知らされた江戸藩邸は俄に忙しさを増した。家督相続そのものは幕府に届けを出して許可を貰うという極めて質素で単純なものだが、それだけで済むほど世の中は甘くない。幕府が『派手になりすぎないように』と注意を促している参勤の行列が年々華美になっていくのと同様に、家督相続もまた無駄に華やかなっていたのである。
 祝宴は勿論のこと、各藩からの祝いの品への返礼の品、またこちらからの贈答品などは外部の人間の目にも触れるものだけに藩主・斉直は手抜きを許さないだろう。幸いなことに大名家や将軍家用の贈答品を作る大川内山の藩直営の窯はそれほど被害を受けていなかった。なので贈答品や返礼の品は藩の特産品でもある『鍋島焼きの皿』で良いだろう。だが、その皿を作る為の予算はどこをひっくり返しても出てこない。
 やむなく借金で賄うしかなく、茂義は七重の膝を八重に折り大名貸しに借金を申し込む日々を過ごしていた。むしろ請役本来の仕事より借金の申し込みの方が多いくらいかも知れない。それでも新藩主の為と文句ひとつ言わず借金の申し込みに出て行く姿はさすがであった。



 だが、これら以上に厄介なのは新藩主、そしてその正室の身の回りの品々の新調であった。今までは世嗣ということで熨斗目麻裃で済んでいた装束も、これからは幕府主催の行事用に事細かに決められた装束を着分けなければならなくなる。それは盛姫も同様で雛祭の際行なわれる御台所への挨拶へも『藩主の妻』の立場で出向かなくてはならない為、藩の恥になる様な姿では行くことができないのだ。着るものだけではない、身につける太刀も扇も烏帽子も全て新調するのだからその費用たるや贈答品の比ではない、莫大なものである。
 平穏な日々の中で家督相続が行なわれるなら斉正も盛姫もそれほど罪悪感を感じなかったであろう。しかし、今は違うのだ。茂義が江戸に来た後も連日のように佐賀から被害状況の報告が江戸藩邸にやってくる今の状況で、素直に家督相続のことに専念し、罪悪感を感じるなと言う方が無理である。

「のう、貞丸の方はともかく妾の身の回りのものは後回しでも良いのではないか?」

 日を置かずに新調する衣装の打ち合わせにやってくる家臣達に辟易しながら盛姫は呟くが、周囲はそうはいかないと口を揃えて申し立てる。

「姫君様、我儘は許されませぬ。藩主の妻として良人に恥を掻かせては妻の名折れでございますよ!」

 風吹も強く言い立てるのでさすがに盛姫も口を噤まざるを得ない。しかし、台風によって年貢さえままならぬどころか備蓄米まですべて吐き出してしまった現状においてそのような贅沢が許されるのだろうか。盛姫は疑問に思う。
 幕府への届けなど使者の報告だけで充分だし、贈答品のやり取りも宣告の佐賀の被害を理由にすれば、他藩も無理は言わないはずだ。実際盛姫の兄弟達が養子に入ったり嫁いだりしている藩を中心に見舞いの品が贈られてきており、家督相続の贈答品は控えめ、または気にするなと言われている。しかしそんな兄弟達の心遣いを派手好きな斉直が素直に受け入れる訳がない。

(見栄の為に何故無駄な金子を・・・・・・妾の着物ひとつの為に領民がどれほど働かねばならぬか義父殿はお解りになっておらぬ)

 そして結局このつけを払わされるのは良人の斉正であり、自分自身なのである。盛姫は周囲の者に気付かれぬように小さく溜息を吐いた。



 これだけでも頭の痛い問題であるのに、盛姫の杞憂はこれだけでは終わらなかった。先日斉正の口から家督相続の話を聞いた直後から、斉正の様子が何となくおかしいのだ。
 盛姫の顔をじいっ、っと見つめているかと思えば急に顔を赤らめたり、布団に入っても以前ならすぐに寝入っていたものががさごそと寝返りをやたら打つ。どうやらなかなか寝付けないらしい。

「医者に診てもろうた方が良いのではないか?」

 と盛姫が進言しても、ただ曖昧な笑顔を浮かべるだけで話をはぐらかしてしまう。そしてその事を女官達に言っても風吹以外の全員が意味深な笑顔を浮かべるだけで取り合ってくれないのである。

――――――『お医者様も草津の湯も治せぬもの』を私どもが治せるはずがないじゃないですか。

 盛姫や風吹がもう少しだけ色恋に敏感であったならば、斉正の態度や女官達の意味深な笑顔の理由をすぐに理解することが出来たであろう。しかし、悲しいかな主従揃って色恋のことには鈍感なのである。台風の被害と違い、こちらは誰かが一言進言すればあっという間に解決してしまう問題であったが、別の意味で台風の被害よりもややこしいことになってしまっていた。



 そしてこの件に関して黒門以上に問題になっていたのは藩邸の表屋敷であった。むしろ家督相続以上の問題になっていると言っても過言ではない。

「松根~っ!どこにおる!」

 ここ最近、まだ夜も明けきらぬ内に黒門から帰ってくる斉正の一言目はこれであった。叩き起こされる松根も堪ったものではないが、それでも健気に起きて主君に付き合うのは従者の鑑である。

「一体どうやって国子殿に接したらいいのだ?これでは身が持たぬ!」

 半分泣きながら、そして半分は不甲斐ない自分に苛立ちながら松根に八つ当たりをするのである。まるで五歳の童に戻ってしまったような主君を宥めるのも一苦労だが、それが務めと言ってしまえばそれまでである。

「素直に仰ったら如何ですか。『御褥をご一緒させて下さい』って」

 松根自身妻どころか馴染みの娼妓さえいない立場ながら、それでも懸命に考え主君に助言をする。だがそんな答えで満足できる斉正ではなかった。

「それが言えたらこれほど苦しくはない!」

 それが言えないから毎晩ろくに眠ることも出来ず苦しい想いをしているのだと、普段聞き分けの良い斉正らしくなくふくれっ面を松根にみせる。それだけ本人にとって八方ふさがりなのだろう。そして八方ふさがりは松根も同様であった。

「でしたら我らより遙かに女人の扱いに慣れていらっしゃる餅ノ木殿に・・・・・・」

 女性に関して経験の全くない自分達ではどうにもならないととうとう松根はさじを投げた。そしてとりあえず考えつく中で一番女性に関して詳しそうな人物の名前を挙げたのだが、それがいけなかった。不意に背後に嫌な気配を感じて松根はぞくり、と震え己の肩を抱く。

「どういう事だ、松根」

 険を含んだ声に松根は振り向く。そこには二人の騒ぐ声で起こされてしまった茂義が立ちはだかっていた。日々借金の申し込みで奔走している疲れが残っているのか目の下には隈が浮かんでいる。

「よりによって餅ノ木に訪ねるとは。俺がいるだろう、俺が。これでも妻帯者だぞ!」

 確かに彼らの身近にいる唯一の妻帯者かも知れない。だが、二人は茂義に対し冷ややかな一瞥をくれた。

「茂義はあてにならぬ。私は国子殿に建具ごと投げ飛ばされたくはない」

「未だ風吹殿を側室に迎え入れられぬではないですか。行動を伴ってからご助言、お願いいたします」

 異口同音に痛いところを突かれては泣く子も黙る請役殿も黙るしか無い。渋々ながら他に良い考えも思い浮かばず、結局直孝を呼び出すことにした。



 だが、最後の頼みの綱も彼らの期待に添えるものではなかった。

「だったら素直にほざいちまえよ、貞丸。『お願いですから一発やらせて下さい、先っちょだけでいいですから』って」

 ふらふらと遊び回っているのをようやく捉まえ藩邸に来てもらったはいいが、その言葉は助言の中で一番ろくでもないものであった。否、言い方こそ違えど松根の意見とほぼ変わらない。

「そもそも大名の子作りなんざ『お勤め』以外の何者でもねぇだろう。何をそんなにまごつくのかねぇ。茂義だってそうだろう?他に惚れた女がいてもそれとコレとは別もんだし」

 しかし斉正は顔を真っ赤にしながらも兄に意見する。

「だって・・・・・・だって。国子殿を傷つけたくないですし、もし国子殿に嫌われたら私はどうしたらいいのか・・・・・・」

「夫婦の務めを果たしたからって嫌われるって道理はねぇぞ。一体おめぇをそこまで怖じ気づかせている原因っていうのは一体・・・・・・風吹殿みたいに嫁御はがらは悪くねぇし・・・・・・おい、まさかとは思うが」

 まさかとは思いつつ、有ることに思い至り直孝は真顔になる。

「貞丸、お前まさか・・・・・・本気で嫁御に惚れちまったんじゃねぇだろうな?」



 しばしの沈黙が四人を包む。

「おい、貞丸。大名の婚姻が――――――『百日大名』の夫婦がどんな生活を強いられるか解った上で嫁御に惚れちまったのか?」

 直孝は絞り出すように言葉を発する。その声に同情が含まれていることに気がついたのは年長者の茂義だけであった。

「兄上・・・・・・何を仰りたいのですか?」

 兄が何を言おうとしているか理解できず、斉正は小首を傾げる。その様子に直孝は、弟がこれから味あわなければいけない苦悩を理解していないことに気がつかされた。

「てめぇの姫君様は正室なんだぞ。二人で暮らせるのは二年の内たった百日、側室ならば親父殿がやらかしたように佐賀に連れて行くこともできるだろうが、正室には絶対に許されないんだ」

 いつになく真剣な顔で直孝は斉正に訴える。

「ただのお飾りならまだ耐えられるだろう。だがよ・・・・・・身体を重ねちまったら最後、別れがますます辛くなるぞ。飲んでも飲んでも喉が渇く塩水を飲むが如く、恋心ってぇものは質が悪い。そこのところをきっぱりと割り切れるんなら問題はねぇが、おめぇにそれができるとは思えねぇ。できるなら姫君様への熱がもうちっと下がったところで・・・・・・」

「気に喰わん!そこをあえて想いを貫くのが男というものじゃ無いのか、餅ノ木の!」

 今まで黙っていた茂義が直孝の説得に口を挟んだ。

「想いを貫こうとして建具ごと投げ飛ばされてりゃ世話がねぇ。そもそもあんたみたいにしょっちゅう佐賀と江戸を行き来していたら何ともねぇだろうが貞丸は一度姫君様と別れたら一年と九ヶ月、顔どころか影さえ拝めねぇんだぞ?」

 だが、茂義も負けてはいない。今にも直孝の胸座に掴みかかりそうな勢いでがなり立てる。

「それでも辛いからと言って逃げるより、その想いを胸に領地に帰った方がよっぽども幸せだ!あんたは佐賀の惨状を知らないからあっさり言ってくれるが、愛しい者との絆なしではあの困難に立ち向かえぬ!」

「二人とも、そこまで!」

 不毛な言い争いを続ける大人達を止めたのは他ならぬ斉正であった。斉正は三人の顔を見回し、穏やかに告げる。

「しばらく・・・・・・一人で考えたい。皆、席を外してくれないか」

 三人は――――――特に松根はかなり心配そうだったが、茂義と直孝に促され部屋を後にした。一人残された斉正は立ち上がり、冬枯れの庭を見つめながら一人物思いに沈む。

――――――飲んでも飲んでも喉が渇く塩水の如く恋心ってぇものは質が悪い。

 直孝が言うことも今は理解できる。抱きしめたい、唇を重ねたい、そして盛姫の全てを自分のものにしたいというどろどろとした欲望と同じくらい、傷つけず、清いままで守り続けたいという欲求が斉正の中でせめぎ合っている今こそ、まさに、『恋』と言う名の塩水を飲んでしまった海難民そのものではないか。

――――――愛しい者との絆なしではあの困難に立ち向かえぬ!

 茂義の言葉も真実だと思う。未曾有の大惨事によって佐賀領民の死者・行方不明者は一万人を超えるという。そしてその何十倍もの被災者が未だに佐賀にいるのだ。彼らを救う為自分はこの身を投げ出さなくてはならないだろう。そして今までにない困難にも立ち向かわなくてはならない。その時、心のよすがになるのはやはり盛姫との絆――――――それだけしかないと思う。


――――――国子殿にこの想いを聞いて貰おう。


 それで受け入れて貰えなかったらその時はその時だ。暮れなずむ夕日の中、愛しい人の前でただもじもじとするだけだった少年は意を決し、愛しい人の待つ黒門へと足を向けた。



UP DATE 2010.01.20

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まずはゴメンナサイから。『家督相続(戸主が生存している内に相続をする)』を間違えて『跡目相続(戸主が死んだ後に相続する)』ってしちゃっていました。別に斉直に恨みがある訳じゃ無くて早めにくたばってくれと思っている訳でもなく単純なミスです><。全て訂正したつもりですが万が一間違いが残っておりましたら遠慮無く突っ込んでやって下さいませ。


『葵と杏葉・世嗣編』最終話にようやく辿り着きました(笑)。おこちゃま感覚で仲良しこよしだった二人がようやく『本当の夫婦』へと新たなる出発をするのですが、話の中の直孝の台詞の如くこれからの長い人生二人は遠距離恋愛を強いられることになります。溶姫のところみたいに新婚早々冷めきっている夫婦であれば何も問題ではないんでしょうけど(おいっ)なまじ仲の良い夫婦であれば逢えない一年九ヶ月は長いですよね。それが辛かったのか貞丸パパ・斉直は愛妾を佐賀に連れ帰っちゃっています。
次回はようやく・・・・・ってところまでいけるでしょうか(笑)。がんばりますv
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S様、コメントありがとうございますv 

『葵と杏葉』への感想ありがとうございます。三十話近くかかってようやく二人がまともな夫婦になることが出来そうです(笑)。
シーボルト台風は確かに悲惨でしたが、この台風が閉塞して身動きが取れなくなっていた佐賀を発展させる起因になるのですから皮肉と言えば皮肉ですね。
現代でもそうですが、親がしっかりしていれば家督相続はそれほど面倒ではないのですが、こと問題児の藩主がいますので(苦笑)。
お忙しい中、コメントありがとうございました。
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