「葵と杏葉」
葵と杏葉・世嗣編

葵と杏葉世嗣編 第二十五話 子年の大風・其の壹

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 年が明け、大名達の年賀登城や町人達の年礼、三河万歳や獅子舞のような門付けなどで江戸の町は正月の活気に満ちあふれている。否、それだけではない。恵方参りや七福神巡り、そして門松見物に繰り出す江戸っ子もこの時期少なくない。
 今現在でこそ門松はどこも同じような『松竹梅』の形で収まっているが、当時の門松や注連縄飾りは非常に地域色豊かなものであり、各大名の藩邸を巡ることで滅多に旅が出来ない江戸っ子は旅の雰囲気を味わったのだろう。
 特に三抱えもある藁の鼓型をした『鍋島の鼓胴』と、門松の代わりに袴に役羽織を着た物が左右六人ずつ座している『佐竹の人松』は、数多ある大名屋敷の注連縄飾りの中でも江戸っ子の人気を二分する正月飾りである。飾り付けが始まる前から気の早い江戸っ子達は外櫻田の佐賀藩邸の前にたむろって、今や遅しと首を長くして飾り付けを待ちわびているほどだ。
 それは斉正や盛姫を始めとする鍋島家中の者達も同様で、誇らしげに江戸で一、二を争う注連縄飾りをそれに見惚れている見物人もろとも門の内側から見物しているのである。



 茂義の婚約による風吹の苦悩や、異母妹である溶姫のうまくいかない新婚生活など、斉正との関係を改めて考えさせられた古い年は過ぎ去り、新しい年がやってきた。新年になった勢いでいっそ『真の夫婦』になってくれという周囲の思惑とは裏腹に斉正と盛姫の関係はまったく変わる気配さえ見せない。
 斉正十五歳、盛姫十八歳と当時の大名夫婦としては決して幼すぎる訳でなく、二人の関係も年と共に成長してもいいと思われるのだが、変わるのは斉正の身の丈ばかりである。実の弟の如く盛姫を慕う斉正に対し、こちらもまた実の姉のように斉正を愛しむ盛姫の関係に進展はない。

「若君の『船道楽』は相変わらずですが、見目だけは遜色無いのですから・・・・・姫君様、そろそろ『本物の夫婦』になられたらいかがですか?ここは年上の姫君様が若君をお導きにならないと、いつまで経ってもこのままでございますよ」

 と、ここにきてさすがにこのままではまずいと思い始めた風吹にせっつかれながらも、盛姫はらしくもない曖昧な笑みを浮かべつつ、のらりくらりと風吹の攻撃を躱してしまう。

「そうじゃな・・・・・・そのうちに、という事にしておこうかの」

 実のところ、盛姫は斉正との関係を進めることに恐怖を感じていた。もちろん破瓜をこれから迎える乙女の恥じらいという面もあるにはある。だが、それ以上に今まで培ってきたこの穏やかな関係が身体を重ねることで失われてしまうかもしれない――――――そんな恐れが盛姫を支配していたのだ。
 せめて恋心が及ぼす苦悩を知らなかった一昨年の盛姫ならば、まだ素直に風吹の忠告を素直に受け入れたかも知れない。だが、すでに風吹や溶姫の人を愛するあまりの苦悩を目の当たりにしてしまったのである。その荒ぶる感情はようやく淡い恋心に近い感情が芽生え始めた娘にはあまりにも生々しく、強すぎる感情は怖い者知らずのやんちゃな姫君を萎縮させるのに充分すぎるほどであった。
 せめて大奥に出回っている人情本(退廃的な恋愛や風俗を中心に描いた本)とは言わないまでも、『源氏物語』の触りくらい読んでいればまた違っていたのだろうが、何せ蛇を素手で鷲掴みにする盛姫である。大人しく長編恋愛小説の古典など読むはずもなく、婚礼に際しても『農村図』の屏風を嬉々として持ち込む姫君なのだ。故に恋愛に関してはかなりの奥手、むしろ箏同様『苦手』と言っても過言ではない。

「いっそあの馬鹿藩主の封を継いで若君が藩主になるか、側室でも侍らせば姫君様もお覚悟ができるのでは・・・・・・」

 あまりに煮え切らない盛姫に業を煮やしたのか、普段滅多に過激な発言をしない颯がとんでもないことを言い出す。だがその言葉にさえ風吹は怒るどころか悲しげに首を横に振る。

「颯、あの『おふね好き』の若君が女子に興味を示すと思うのか?」

 その一言が全てを物語っていた。十五歳と言えば異性に興味を持ち始め、自分の欲望を抑えきれない者さえ出てくる年頃である。そんな年頃であるにも拘わらず、正室の盛姫には手を出さないし側室も侍らす様子もない。実は盛姫に内緒で風吹は直孝に『若君を遊里に連れて行き女子の扱い方を教えるように』と命じていたのだが、それさえも敵わないらしい。直孝も実の兄として相当心配しているのだが、場所が場所なだけに本人にその気が無いのを無理強いする訳にもいかない。

「・・・・・・女子に貢ぐ位なら、舶来船の描かれた図版に貢ぐと思います」

 若夫婦の実情を改めて思い知らされたかのようにがっくりと肩を落とし、颯は声を振り絞る。

「判っておるなら空しい希望を口にするでない」

 風吹と颯、そしてその場にいた他の女官達も一斉に諦めのため息を吐いた。そのため息に主であるはずの盛姫の方がいたたまれなくなり扇で顔を隠してしまう。こんな日々が年明からずっ、と続いていた。
 このご時世、藩主と正室との間で子供が産まれないことなど珍しいことではないし、子供が産まれないどころか夫婦仲が冷め切ってしまっている大名夫婦も少なくない。そんな中、男女の関係こそ無いものの別に仲が悪い訳ではないの、でこれでいいのではないかという空気が、黒門や事情を知っているごく少数の斉正の側近の間に流れ始めていた。
 もし斉正に子供が出来なければ、実弟の誰かなり兄弟の子供なりを養子にすれば良いのではないか――――――そんな諦観漂う空気を一蹴するには極めて大きな嵐が必要である。
 そんな斉正と盛姫の穏やかで繊細な関係を一変させる文字通りの大嵐が佐賀を襲ったのは、この黒門での会話から八ヶ月後、文政十一年八月の事であった。



 それは残暑がようやく緩み始めた八月八日のことである。いつになく順調に生育した稲の出穂を確認しに来た年老いた本百姓が、田圃を吹き抜けるやけに強い風に顔をしかめた。

「ここに来て困った事じゃ・・・・・・いやな風が吹いてきた」

 本来ならもっと爽やかな秋の気配を含むはずのこの時期の風にしてはやけに湿気ており、その強さの割には心なしか重たく感じる。本百姓の白髪交じりの貧相な髷はその強い風に煽られ乱れている。

「押し鼻(南東風)じゃないのにか?」

 孫だろうか、本百姓に手を引かれ緒に来た幼子が不思議そうな顔をして尋ねた。まだ五、六歳だろうか、がんぜない孫に対して老百姓はにっこりと微笑みながら答える。

「覚えておおき。あっちから吹く風はこれから押し鼻になる前触れじゃ。こういう風が吹くと近いうち――――――そうじゃな、今晩か明日の明け方には大風になることが多いんじゃ。雨が降る前に出来る限りのことをせにゃ・・・・・・よりによって出穂の時期に大風が来るとは今年は付いてないなぁ」

 長い年月を生き延びてきた老人の知恵は家族のみならずその土地の貴重な財産である。佐賀が暴風になる時台風は九州の西側を通ることが多い。なのでその予兆である南東風やその前の東北風が吹くことによって人々は大風を迎える準備をすれば被害は最小限で済むのである。
 このように大抵のことは五十年以上生きながらえれば経験することができるし、並みの災害ならば老人の指示を仰げばまず間違いない。この本百姓もそうやって老人の知恵のおかげで生きながらえてきたし、今現在は若者に自分が経験してきた事例や伝え聞いた事例を伝え、教え導く立場にあった。
 本百姓は孫の手を引き、嵐に備える為の準備をする為自宅へと向かっていく。しかし、彼が再び孫の手を引いてこのあぜ道を歩くことは二度となかった。



 万全の準備をしたとしても天災には敵わない。特に土地の古老でさえ経験した事の無いような大惨事を前にしては、人はどこまでも無力である。
 後に『子年之大風』または『シーボルト台風』と名付けられ、語り継がれる事になる台風は文政十一年八月八日の夜半から九日にかけて北九州一帯を襲ったのである。その第一の被害地は長崎であった。特に長崎市中及び出島では高潮も重なり被害が続出し、大混乱に陥った。

「大変だ!番所が・・・・・・港番所がやられちまった!」

 ずぶ濡れになった港番所の役人が助けを求めに俵物役所のある通りまでやってきたが、彼の目の前にあったのは風で屋根が飛ばされ、波の被害を受けている俵物役所であった。

「なんだって?番所もか!俵物役所も風で吹き飛ばされたんだ・・・・・・このままじゃ波にさらわれるのも時間の問題だ!」

 がくりと膝を突く役人達にも容赦なく波飛沫が襲いかかる。慌てて誰かが膝を突いてしまった役人を引きずり、少しでも海から引き離そうと躍起になるが、その横にはふらふらと荒れ狂う海に向かって歩き続ける男もいる。

「だれか・・・・・・船が、儂の船を・・・・・・」

 その姿からすると商船の船主だろうか。すでに荷を積んでしまっているのならば船ごとその積荷は海の藻屑と化しているだろう。さすがに船一隻を失ってしまっては破産は確実である。だが、被害は商船の一隻や二隻では済まなかった。流出した船は二十一隻、大破、中破したものはオランダ船一隻、中国船三隻を含む計五十五隻が記録に残っているだけでも被害を受けている。
 そして残念なことに荷駄の被害は船に積まれた物だけでは勿論無かった。海に面した倉庫がことごとく被害を被ったのだが、特にひどかったのが砂糖を収納していた倉庫であった。

「十五番倉庫が波にさらわれた!砂糖十五万斤(約67500kg)が全滅・・・・・・!」

 どこからともなく悲鳴に近い声が上がる。これから日本全土に向けて販売される貴重な砂糖までもが海の藻屑と消え去ってしまったのだ。以後砂糖の価格が高騰してしまったのは言うまでもない。



 この凶悪な台風に不本意ながらその名を付けられてしまったオランダ商館付の医師、フィリップ・フランツ・フォン・シーボルトは崩れ落ちそうになる屋敷の二階で必死に気圧計の値を読み取っていた。

「シーボルト先生!早くしてください!この屋敷もそう長くは持ちません!」

 弟子や妻の滝がシーボルトを呼ぶ声、そして娘の稲の泣きじゃくる声が強風の轟音にかき消されそうになりながらもシーボルトの耳に届く。

『これは極めて珍しい事例ですね・・・・・・避難でき次第本国にこのデータを送りましょう』

 シーボルトは『気圧計28インチ1(956.1hPa)、寒暖計77.0F(25℃)、湿度97%』と記された小さな帳面をぱたん、と閉じるとぐらぐらと揺れる階段にすがりつきながらようやく皆が待っている階下へと降りていった。この直後この唐館は崩壊しているが、シーボルトは妻や娘、そして日本人の弟子達と共に避難し一命をとりとめている。
 なおこの時計測された気圧はいわゆる『中心気圧』ではない。それにも拘わらず並みの台風より遙かに低い値を叩き出しており、いかにこの台風が強い勢力をもって九州を襲ったかよく判る。

 余談だがこの台風はその名前の由来となった一つの逸話が残されている。稲佐の浜に吹き上げられたオランダ船の荷物の中から、輸出を禁じられた品々が発見されシーボルト事件にまで発展したという都市伝説じみた話がまことしやかに巷に流れた。
 しかし、実際のところは座礁した船は臨検されることもなく~他の被害が大きすぎて検分する余裕も無かった~そのままにされ、船に積み込まれていたのは船体の安定を保つためのバラスト用の銅500ピコルだけだったというのが事実である。



 以上長崎では出島の唐館、俵物役所、港番所、新地などの公共建物、石段石塀、その他付属施設が襲い来る風雨や高波によって破損崩落した。
 市中だけでも死者二十四名、負傷者二名、潰屋三十四件、崩家五十三件、流出船二十一隻、大、中破五十五隻の記録(内、オランダ船一隻、中国船三隻)があるがこれは役所に届けられた記録であり、一説には近隣の村落なども含めて死傷者七百名を超えるとも言われている。



 長崎に甚大な被害をもたらした大風はさらに勢力を増しながら佐賀へと進んでいく。暮れ五つを過ぎた頃からさらに雨脚が強くなり、雨戸に叩き付けられる雨粒が石礫のように煩く響く。

「くそっ!この大風では城にも上がれぬ!」

 虫籠窓から悔しげに外を睨みながら茂義は悔しげに呟いた。かなり頑丈に作ってあるはずの武雄藩屋敷もぎしぎしと軋み、今にも倒壊しそうである。先程めりめりと庭の木が倒れるような音もした。たぶん二、三本は倒れているだろう。屋根瓦だって無事ではないはずだ。だが、この暴風の中ではそれを確かめる術もない。

「修繕代にまた金が出て行くんだろうな。この大風で収穫がどうなるものか判ったもんじゃないが・・・・・・八割方収穫できれば御の字か」

 茂義は溜息を吐くと苛立ちを紛らわすように文机の前に座る。明日になれば嫌でも被害状況が佐賀城へもたらされるだろう。茂義はあえて悪い予感を振り払うように硯を取り出し、墨をすり始めた。
 だが、茂義は知らなかった。この台風が牙を剥き佐賀に襲いかかるのはこれからが本番だということを。城の修繕費などという些細な金子だけでなく、さらに多くのものを佐賀から奪っていく事を――――――。



 太陽活動が弱まっていた小氷河期のこの時期にあって、温暖化で台風が巨大化しつつある現代に匹敵する強い勢力の台風が来たのである。せいぜい数十年の寿命しかもたない人間の知恵をあざ笑うかのように台風は各所にその爪痕を残しながら西へと進んでゆく。
 風雨がますます強くなる中、これからの起こることも知らぬまま、藩主以下佐賀の民は息を潜めてただ嵐が過ぎ去るのをじっと待つことしかできなかった。



UP DATE 2009.12.26

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皆様、明けましておめでとうございます。本年も『葵と杏葉』を是非ともよろしくお願いいたしますm(_ _)m

一ヶ月ぶりの再開でいきなりこれです。何せ日本史上五本の指に確実に入るであろう凶悪台風を相手にしなくてはならないのでこっちも気を引き締めて一ヶ月ほどお時間を頂いたのですが・・・・・正直自分、甘かったです(^^;
さすがに江戸時代の台風ですから現代のような中心気圧や台風進路、時速どんだけのスピードで被災地を走り抜けたのかという数値的なデータはないものの、それでも他の台風に比べかなり記録が残っているのです。特に長崎は天領だったこともあるんでしょう、具体的な被害数や後の救済措置の資料など見つけることができたのですが、肝心の佐賀の資料が未だに・・・・・(苦笑)。確かにどんな災害でも一番被害を受けた被災地の記録は曖昧になってしまいますよ。自分達の身を守るのに手一杯で記録なんて取っていられないし・・・・・と、調べ物下手な自分を正当化(おいっ。)
仕方が無いのでかろうじて見つけることが出来たデータと佐賀の地形、9月という季節を考慮してなんとか二話目、頑張ってみます。そしてこの嵐によって主役の二人がどう変わってゆくのかも重要になってゆきます。あの二人のことですからこれくらいの大事件がない限り何も変わらないでしょうしねぇ・・・・・こちらも頑張りたいと思います。

次回は1月6日(水)PM11:00~11:30の更新を予定しております。(目標は11:00です)



《参考文献》
◆Wikipedia 斤
◆Wikipedia シーボルト事件
◆Wikipedia 台風
◆過去三百年間のA級暴風雨  付記 シーボルト台風について 根本順吉
 http://www.metsoc.jp/tenki/pdf/1962/1962_09_0282.pdf
◆災害伝承情報データベース 文政台風(『シーボルト台風』とも呼ぶ)
 http://www.saigaidensho.soumu.go.jp/saigai/import.2006-12-27.190253-1/
◆江戸年中行事図聚  三谷一馬著  中公文庫
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S様、明けましておめでとうございますm(_ _)m 

新年早々のご訪問および丁寧なご挨拶ありがとうございますv
それにしてもいいですね~京都(^^)。
修学旅行でしか行ったことがないのでゆっくりと見てみたいものです。
お互いに無理のない程度に小説の制作に励みましょう。
新作、楽しみにしてますね~。

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ご報告ありがとうございますm(_ _)m 

N様、初めまして。
拙宅ではテキストのみクリエイティブ・コモンズに則って制作・発表しておりますので作品掲載そのもは何ら問題ではないのですが、その他の条件(拙宅へのリンク、クリエイティブコモンズの表記など)に関して適正かどうか後ほど確認をしてみたいと思います。
わざわざのご報告、ありがとうございました。
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