「vague~道場主・作間駿次郎顛末記」
港崎遊郭連続誘拐事件
vague~大捕物・其の参
抜けるような冬晴れの下、港崎遊郭に向かって走る二人の男がいた。
「おい伊織・・・・・・もうちょっとゆっくり走ってくれ!」
先を走っていく垣崎に対し、息を切らせた作間が懇願する。だが垣崎は走る速度を緩めることなく冷たく言い放った。
「何言っているんですか、先輩!ただでさえ英吉利に手柄を取られているのに!これで拐かし犯に逃げられたら奉行所の面目は丸潰れなんですよ!」
確かに垣崎の言い分は作間も尤もだと思う。だが作間は大捕物があった現場から港崎遊郭を抜け、紅葉坂の上にある神奈川奉行まで一気に駆け上がった後なのだ。その状態で垣崎の全力疾走に付いて来いというのは酷である。それに加え垣崎の毒舌も作間の疲労に追い打ちをかける。
「たかだか港崎から奉行所までの往復如きでへばるなんて情けない。駿次郎先輩、同心失格ですよ!」
「同心って・・・・・・お前の部下かよ!」
こんな時にまで先輩を先輩とも思わない垣崎の態度に作間は呆れるが、垣崎は何を今更、といった風に作間に流し目をくれた。
「当たり前じゃないですか!付いて来れないのなら置いていきますよ、先輩!」
作間を小馬鹿にしたように言い捨て、垣崎が走る速度を早めようとしたその時である。作間の目の端にちらり、と赤い炎の舌が見えたのだ。作間は思わず足を止め、炎の舌が見えた方向を確認する。
す ると豚肉屋鉄五郎の店――――――昨日垣崎が逃げ出してきた娘を保護した店の裏手から火が上がっているではないか。作間は慌てて垣崎を止める。
「おい、伊織!冗談じゃなく止まれ!火事だ!豚屋から火が出てるぞ!」
切羽詰まった作間の声に尋常ならざるものを感じたのだろう。垣崎はい足を止め、そして作間が指差す方を見た。
「なっ、何ですか、あれは!」
炎を目の当たりにして垣崎は絶句する。既に小火の域では無い。乾燥した空気とからっ風の所為で既に一人二人では消せない程、炎の勢いは強くなっていた。垣崎は舌打ちして懐から呼子を引っ張りだし勢い良く吹く。
「伊織!火消し桶はどこだ!ちょっと探してくる!」
呼子を吹き鳴らして火消しを呼ぶ垣崎に一声かけると 、作間は火消し桶を探しに裏口へ入り込んだ。その時である。
どさり、と作間の目の前で人が倒れこんだ。作間は一瞬、火事の煙に巻き込まれた者が倒れたのかと思った。だが、俯せに倒れたその背中が袈裟懸けに斬られている事にすぐに気付く。そして倒れてきた男の顔をよくよく見ると、その男は作間が知っている人物だった。
「こいつ・・・・・・逃げ出した下手人じゃないか!」
苦悶に歪んだその顔は、先程逃げられてしまった黒河のものだった。その顔から作間は徐々に視線を上げる。
そこには抜き身を持ったがっしりした男と、背の高い細身の男が炎を背に佇んでいた。その顔には作間は見覚えがある。否、覚えていたのはその威圧感というべきか。
二人の男、特に背の高い細身の男が発する威圧感に、思わず作間は反射的に大刀を抜き、叫ぶ。
「・・・・・・昨日豚屋の前にいた二人組だな?この男を殺したのは貴様らか!」
だが、男達は作間の言葉に否定も肯定も示さなかった。その代わり、作間の怒声を聞いた垣崎が何事かと路地に飛び込んでくる。
「せ、先輩!これは!」
地面に倒れている黒河の遺体を見るなり、垣崎は驚きの声を上げた。
「俺達が追いかけていた、拐かし犯の一人だ」
作間は黒河を殺したと思われる二人連れを目で牽制しつつ、垣崎に告げる。目の前の男達は何者なのか皆目見当がつかない中、嫌な緊張感だけが高まっていく。
さらに厄介な事に、男達の背後で燃えている炎は北風に煽られますます大きくなっていた。幸い風の影響で男達や作間の方には燃え広がってこないが、早く消火しなければかなりの大火事になってしまうだろう。
早くけりを付けなければ――――――作間がごくり、と唾を飲んだその時である。背の高い男が懐から一枚の書状を取り出し、作間たちに突き付けた。
「これは長州藩による『御手前仕置』である!幕府であろうとも口出し無用!」
表に『下』と認められたそれは、長州藩主・毛利敬親の名による黒河ら三藩士粛清の命令書だった。御手前仕置とは各藩がそれぞれ独自の裁量で執行する処刑の事で、幕府によって許可されている権利でもある。
この命令書が大久保の許に届いたのは昨日黒河らと別れ、宿泊している旅籠に戻った時だった。長州藩藩主名義になっているが、大久保に直接送ってきたのは勿論、黒河らの調査を大久保に頼んでいた伊藤博文である。
先日届いた手紙を出した直後、何らかの事実が判明したのだろう。大名飛脚を使っての命令書を送付してきた伊藤の慌てぶりに、大久保達も苦笑いを禁じえなかった。
「伊藤どんもいっとっ待っとったら、こげな火事にならんかったかもしれんのに」
海江田がぱちぱちとかかってきた火の粉を払いながら呟く。そもそも黒河達が動き出したのは大久保達の来訪に因る。それがなければ黒河達が大久保らに怯え妙な動きをする事も無かっただろう。小萩の誘拐もこの火事も起こらず、事件は闇から闇へ葬り去られていたに違いない。
だが、御手前仕置だろうが、本来闇から闇へ葬り去られる筈の処断だろうが許されない事はある。喩えそれが幾人もの少女を誘拐し、殺しまで行った犯罪者であってもだ。
「確かにそれは幕府によって許可されているものだが、こんな裏路地でやっていいもんじゃねぇんだよ!虫けらじゃあるめぇし・・・・・・お上の裁きを、お白州を何だと思っていやがる!」
怒りに震える声で垣崎が叫ぶ。そして作間が止める間もなく鯉口を切ると、垣崎はそのまま海江田に向かって斬りかかった。
カキン!
二本の刀がぶつかり合い、耳障りな金属音が辺りに響く。勢いのまま斬りつけてきた垣崎の刀を海江田が辛うじて受け止めたのだ。
だが、地力では海江田のほうが優るのか、鍔迫り合いの状態からじりじりと垣崎は押し返される。このままでは形勢が逆転する――――――そう作間が思った瞬間、垣崎が海江田の脚を思いっきり払った。道場の稽古や試合と違い、捕物の現場では形振りなど構っていられない。卑怯と罵られても相手を捕縛しなければ意味が無いのだ。
垣崎の足払いは作間も何度か受けていて、その強さ、巧さは十二分に知っている。剣術の腕においては垣崎より遥かに上で体格にも勝る作間でさえも、油断をすればひっくり返される程だ。
勿論海江田も脚をかけられれば間違い無く倒れるものだと作間は確信していた。だがその確信は、次の瞬間脆くも崩れ去ったのである。
「な、何ぃ!」
信じられない光景に垣崎は絶叫する。相撲取りでさえ一発で倒す垣崎の足払い、その足払いをまともに受けたにも拘わらず、海江田はびくともしなかった。
それどころか刀にますます力を込め、あともう少しで垣崎の喉元に刃が食い込むところまで刀を押し込んだのである。このままでは垣崎が殺される――――――そう思った瞬間、作間は二人に向かって走りだした。
「伊織!後ろに飛べ!」
作間は叫ぶと、走りながら手にした大刀を海江田の脇腹に突き入れる。
「よっ、待ってました『突きの瞬次郎』!」
垣崎は背後に飛び退きながら作間を茶化す。『突きの瞬次郎』は練兵館当時の作間の渾名である。道場主の斎藤新太郎や塾頭の渡辺昇よりも素早い突き技によっていつしか付いたものだ。
さらに作間の突きの速さに加え、海江田は垣崎の喉元に刀を押し込んでいて脚を踏ん張っている。その分、作間の突きを避けるには体勢的に無理が生じてしまう。
間違いなく作間の大刀の切っ先は海江田の腹に突き刺さる――――――作間が手応えを感じたその刹那、激しい手の痺れと共に作間の刀が弾かれた。
「俊斎、いつも言っているだろう。お前は深追いし過ぎる上に周囲に気が回らなくなるから気をつけろと」
窘める口調で海江田に語りかけたのは大久保だった。その手には大刀が握られている。そして作間の大刀は作間の左斜め後ろ、かなり離れた場所まで飛ばされていた。
その状況から鑑みると、大久保が作間の突き技を瞬時に見切り、海江田の脇腹に刺さる直前に作間の大刀を弾き飛ばしたとしか考えられない。
「ちっ!」
作間は舌打ちし飛ばされた大刀を恨めしげに一瞥するが、さすがにその距離では拾いに行く事も難しい。作間は即座に痺れる手で脇差を抜き放ち、大久保に対峙する。
「信じられねぇ・・・・・・駿次郎先輩の突きが見切られるなんて」
瞬時の出来事に、作間以上に衝撃を受けた垣崎が呻く。練兵館の稽古であろうと、他流試合であろうと作間の突きを防いだ者は今迄誰もいない。だが垣崎の眼の前にいる背の高い男―――大久保はそれをやってのけたのである。
勿論垣崎だけでなく作間自身も自身の突きを見切られた衝撃を感じていた。しかしここで大久保に動揺を気取られたら確実に負ける。自分の太刀筋を見切った大久保を相手に、しかも間合いで劣る脇差でどれくらい戦えるか判らない。だが武士としてここで引く訳にはいかないのだ。
燃え盛る炎の熱気の中、じりじりと大久保との間合いを詰めていく。そして作間の間合いまであと三歩と迫ったその時、不意に大久保が作間に語りかけてきたのである。
「『突きの駿次郎』・・・・・・噂には聞いていたが、なるほど桂や渡辺が一目置く訳だ」
その瞬間、作間は息が止まるほど驚愕し、一歩も動けなくなった。
「何故、塾頭達を知っている?」
作間を知っている桂や渡辺というのは間違いなく練兵館の歴代塾頭である桂小五郎や渡辺昇の事だろう。さらにそれだけではなく相手は作間の事も聞き知っているらしい。
太刀筋だけでなく自分の素性まで知っている大久保に、作間は気味悪さを感じずにはいられない。そんな作間に対し、大久保はその理由を明かす。
「桂も大久保も藩は違うが志を同じくする攘夷派の同士だ。貴殿の話は特に渡辺昇からよく聞いている。やたら生真面目で、私生活も剣術の型も枠からはみ出せず難儀しているという欠点も、な」
大久保が告げたその瞬間、作間の背後で垣崎が思わず失笑した。
「伊織!笑っている場合か!」
切羽詰まった状況にも拘わらず、笑い出す垣崎に対し作間は怒鳴るが、垣崎は笑いを止めようとしない。
「あはは、だって当たっているじゃないですか!間違いなくこの男、渡辺さんの知り合いですよ!」
作間の怒りを他所に垣崎は笑い続けた。そんな二人を見つめつつ大久保は更に作間に語りかける。
「作間駿次郎。貴殿も練兵館に籍を置いていたのなら我らの志が理解できるのではないか?」
その瞬間、北風に煽られて炎が一段と激しく燃え上がった。燃え盛る家の柱が倒れ、火の粉が作間や垣崎にも振りかかる。 全てを燃やし尽くす激しい炎は、まるで大久保の意思がそのまま炎と化したかのようだ。
その炎を背に、大久保は不動明王の如く作間の前に立ち塞がる。
「特に渡辺昇は貴殿を買っていた。『突きの駿次郎』が攘夷の同士に加われば鬼に金棒だと」
何故この男はこのようなことを言い出すのか――――――作間は混乱する。いっそ斬りつけてくれた方が遥かにましだ。
しかし大久保は自分を可愛がってくれた先輩の名を出し、作間の動揺を誘う。そんな大久保のやり方に怒りを覚えつつも太刀筋を全て読まれている為、迂闊に跳びかかる事さえできない。
(どうすれば・・・・・・)
攻めあぐねた作間が脇差の柄を握り直したその時だった。
「おらおら!怪我したくなかったらどいたどいた!火消様のお通りだァ!」
遠くから火消し達の威勢のいい声が聞こえ、徐々にこちらに近づいて来たのだ。その声に大久保達も気が付き、渋い表情を浮かべる。
「そろそろ潮時だな・・・・・・作間駿次郎、気が変わったらいつでも薩摩の大久保一蔵を訪ねて来い。貴殿の席は空けておく――――――行くぞ、俊斎!」
大久保は刀を鞘に収めると、海江田と共にまだ火が回っていない横道に飛び込み、作間と垣崎の目の前から姿を消した。
「待て!逃げるか!」
作間と垣崎は二人を追いかけようとしたが、燃え盛る家が立て続けに倒れ大久保らが逃げた道を塞ぐ。
「ちっ、悪運の強い奴め!」
襲い来る炎や倒れてくる柱を避けながら垣崎は叫ぶ。だがその声は轟々と鳴る炎の渦にかき消されていった。
UP DATE 2017.10.04
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作間たちと大久保達―――思わぬところに共通の知人がいたようです(@@)
渡辺昇塾頭、どこまで顔が広いんだか(^_^;)白萩との共通の知人(試衛館関係)でも名前が出てきましたし、今回も攘夷派志士絡みで出てくるとは・・・ま、面倒見が良くなければ塾頭なんて出来ないでしょうから、この顔の広さも当然かもしれません(*^_^*)
炎の中、今回は勝負付かずと相成りましたが、次に会う時はどうなるのか・・・一応次回は薩摩藩邸焼き討ちの時に出くわす予定となっております。どうやらこの2人には火事が付きものになりそう・・・(^_^;)
次回更新は10/11、黒河が火付けをしたこの火事は横浜史に残る『豚屋火事』となり、関内の殆どを焼き尽くします(>_<)
「おい伊織・・・・・・もうちょっとゆっくり走ってくれ!」
先を走っていく垣崎に対し、息を切らせた作間が懇願する。だが垣崎は走る速度を緩めることなく冷たく言い放った。
「何言っているんですか、先輩!ただでさえ英吉利に手柄を取られているのに!これで拐かし犯に逃げられたら奉行所の面目は丸潰れなんですよ!」
確かに垣崎の言い分は作間も尤もだと思う。だが作間は大捕物があった現場から港崎遊郭を抜け、紅葉坂の上にある神奈川奉行まで一気に駆け上がった後なのだ。その状態で垣崎の全力疾走に付いて来いというのは酷である。それに加え垣崎の毒舌も作間の疲労に追い打ちをかける。
「たかだか港崎から奉行所までの往復如きでへばるなんて情けない。駿次郎先輩、同心失格ですよ!」
「同心って・・・・・・お前の部下かよ!」
こんな時にまで先輩を先輩とも思わない垣崎の態度に作間は呆れるが、垣崎は何を今更、といった風に作間に流し目をくれた。
「当たり前じゃないですか!付いて来れないのなら置いていきますよ、先輩!」
作間を小馬鹿にしたように言い捨て、垣崎が走る速度を早めようとしたその時である。作間の目の端にちらり、と赤い炎の舌が見えたのだ。作間は思わず足を止め、炎の舌が見えた方向を確認する。
す ると豚肉屋鉄五郎の店――――――昨日垣崎が逃げ出してきた娘を保護した店の裏手から火が上がっているではないか。作間は慌てて垣崎を止める。
「おい、伊織!冗談じゃなく止まれ!火事だ!豚屋から火が出てるぞ!」
切羽詰まった作間の声に尋常ならざるものを感じたのだろう。垣崎はい足を止め、そして作間が指差す方を見た。
「なっ、何ですか、あれは!」
炎を目の当たりにして垣崎は絶句する。既に小火の域では無い。乾燥した空気とからっ風の所為で既に一人二人では消せない程、炎の勢いは強くなっていた。垣崎は舌打ちして懐から呼子を引っ張りだし勢い良く吹く。
「伊織!火消し桶はどこだ!ちょっと探してくる!」
呼子を吹き鳴らして火消しを呼ぶ垣崎に一声かけると 、作間は火消し桶を探しに裏口へ入り込んだ。その時である。
どさり、と作間の目の前で人が倒れこんだ。作間は一瞬、火事の煙に巻き込まれた者が倒れたのかと思った。だが、俯せに倒れたその背中が袈裟懸けに斬られている事にすぐに気付く。そして倒れてきた男の顔をよくよく見ると、その男は作間が知っている人物だった。
「こいつ・・・・・・逃げ出した下手人じゃないか!」
苦悶に歪んだその顔は、先程逃げられてしまった黒河のものだった。その顔から作間は徐々に視線を上げる。
そこには抜き身を持ったがっしりした男と、背の高い細身の男が炎を背に佇んでいた。その顔には作間は見覚えがある。否、覚えていたのはその威圧感というべきか。
二人の男、特に背の高い細身の男が発する威圧感に、思わず作間は反射的に大刀を抜き、叫ぶ。
「・・・・・・昨日豚屋の前にいた二人組だな?この男を殺したのは貴様らか!」
だが、男達は作間の言葉に否定も肯定も示さなかった。その代わり、作間の怒声を聞いた垣崎が何事かと路地に飛び込んでくる。
「せ、先輩!これは!」
地面に倒れている黒河の遺体を見るなり、垣崎は驚きの声を上げた。
「俺達が追いかけていた、拐かし犯の一人だ」
作間は黒河を殺したと思われる二人連れを目で牽制しつつ、垣崎に告げる。目の前の男達は何者なのか皆目見当がつかない中、嫌な緊張感だけが高まっていく。
さらに厄介な事に、男達の背後で燃えている炎は北風に煽られますます大きくなっていた。幸い風の影響で男達や作間の方には燃え広がってこないが、早く消火しなければかなりの大火事になってしまうだろう。
早くけりを付けなければ――――――作間がごくり、と唾を飲んだその時である。背の高い男が懐から一枚の書状を取り出し、作間たちに突き付けた。
「これは長州藩による『御手前仕置』である!幕府であろうとも口出し無用!」
表に『下』と認められたそれは、長州藩主・毛利敬親の名による黒河ら三藩士粛清の命令書だった。御手前仕置とは各藩がそれぞれ独自の裁量で執行する処刑の事で、幕府によって許可されている権利でもある。
この命令書が大久保の許に届いたのは昨日黒河らと別れ、宿泊している旅籠に戻った時だった。長州藩藩主名義になっているが、大久保に直接送ってきたのは勿論、黒河らの調査を大久保に頼んでいた伊藤博文である。
先日届いた手紙を出した直後、何らかの事実が判明したのだろう。大名飛脚を使っての命令書を送付してきた伊藤の慌てぶりに、大久保達も苦笑いを禁じえなかった。
「伊藤どんもいっとっ待っとったら、こげな火事にならんかったかもしれんのに」
海江田がぱちぱちとかかってきた火の粉を払いながら呟く。そもそも黒河達が動き出したのは大久保達の来訪に因る。それがなければ黒河達が大久保らに怯え妙な動きをする事も無かっただろう。小萩の誘拐もこの火事も起こらず、事件は闇から闇へ葬り去られていたに違いない。
だが、御手前仕置だろうが、本来闇から闇へ葬り去られる筈の処断だろうが許されない事はある。喩えそれが幾人もの少女を誘拐し、殺しまで行った犯罪者であってもだ。
「確かにそれは幕府によって許可されているものだが、こんな裏路地でやっていいもんじゃねぇんだよ!虫けらじゃあるめぇし・・・・・・お上の裁きを、お白州を何だと思っていやがる!」
怒りに震える声で垣崎が叫ぶ。そして作間が止める間もなく鯉口を切ると、垣崎はそのまま海江田に向かって斬りかかった。
カキン!
二本の刀がぶつかり合い、耳障りな金属音が辺りに響く。勢いのまま斬りつけてきた垣崎の刀を海江田が辛うじて受け止めたのだ。
だが、地力では海江田のほうが優るのか、鍔迫り合いの状態からじりじりと垣崎は押し返される。このままでは形勢が逆転する――――――そう作間が思った瞬間、垣崎が海江田の脚を思いっきり払った。道場の稽古や試合と違い、捕物の現場では形振りなど構っていられない。卑怯と罵られても相手を捕縛しなければ意味が無いのだ。
垣崎の足払いは作間も何度か受けていて、その強さ、巧さは十二分に知っている。剣術の腕においては垣崎より遥かに上で体格にも勝る作間でさえも、油断をすればひっくり返される程だ。
勿論海江田も脚をかけられれば間違い無く倒れるものだと作間は確信していた。だがその確信は、次の瞬間脆くも崩れ去ったのである。
「な、何ぃ!」
信じられない光景に垣崎は絶叫する。相撲取りでさえ一発で倒す垣崎の足払い、その足払いをまともに受けたにも拘わらず、海江田はびくともしなかった。
それどころか刀にますます力を込め、あともう少しで垣崎の喉元に刃が食い込むところまで刀を押し込んだのである。このままでは垣崎が殺される――――――そう思った瞬間、作間は二人に向かって走りだした。
「伊織!後ろに飛べ!」
作間は叫ぶと、走りながら手にした大刀を海江田の脇腹に突き入れる。
「よっ、待ってました『突きの瞬次郎』!」
垣崎は背後に飛び退きながら作間を茶化す。『突きの瞬次郎』は練兵館当時の作間の渾名である。道場主の斎藤新太郎や塾頭の渡辺昇よりも素早い突き技によっていつしか付いたものだ。
さらに作間の突きの速さに加え、海江田は垣崎の喉元に刀を押し込んでいて脚を踏ん張っている。その分、作間の突きを避けるには体勢的に無理が生じてしまう。
間違いなく作間の大刀の切っ先は海江田の腹に突き刺さる――――――作間が手応えを感じたその刹那、激しい手の痺れと共に作間の刀が弾かれた。
「俊斎、いつも言っているだろう。お前は深追いし過ぎる上に周囲に気が回らなくなるから気をつけろと」
窘める口調で海江田に語りかけたのは大久保だった。その手には大刀が握られている。そして作間の大刀は作間の左斜め後ろ、かなり離れた場所まで飛ばされていた。
その状況から鑑みると、大久保が作間の突き技を瞬時に見切り、海江田の脇腹に刺さる直前に作間の大刀を弾き飛ばしたとしか考えられない。
「ちっ!」
作間は舌打ちし飛ばされた大刀を恨めしげに一瞥するが、さすがにその距離では拾いに行く事も難しい。作間は即座に痺れる手で脇差を抜き放ち、大久保に対峙する。
「信じられねぇ・・・・・・駿次郎先輩の突きが見切られるなんて」
瞬時の出来事に、作間以上に衝撃を受けた垣崎が呻く。練兵館の稽古であろうと、他流試合であろうと作間の突きを防いだ者は今迄誰もいない。だが垣崎の眼の前にいる背の高い男―――大久保はそれをやってのけたのである。
勿論垣崎だけでなく作間自身も自身の突きを見切られた衝撃を感じていた。しかしここで大久保に動揺を気取られたら確実に負ける。自分の太刀筋を見切った大久保を相手に、しかも間合いで劣る脇差でどれくらい戦えるか判らない。だが武士としてここで引く訳にはいかないのだ。
燃え盛る炎の熱気の中、じりじりと大久保との間合いを詰めていく。そして作間の間合いまであと三歩と迫ったその時、不意に大久保が作間に語りかけてきたのである。
「『突きの駿次郎』・・・・・・噂には聞いていたが、なるほど桂や渡辺が一目置く訳だ」
その瞬間、作間は息が止まるほど驚愕し、一歩も動けなくなった。
「何故、塾頭達を知っている?」
作間を知っている桂や渡辺というのは間違いなく練兵館の歴代塾頭である桂小五郎や渡辺昇の事だろう。さらにそれだけではなく相手は作間の事も聞き知っているらしい。
太刀筋だけでなく自分の素性まで知っている大久保に、作間は気味悪さを感じずにはいられない。そんな作間に対し、大久保はその理由を明かす。
「桂も大久保も藩は違うが志を同じくする攘夷派の同士だ。貴殿の話は特に渡辺昇からよく聞いている。やたら生真面目で、私生活も剣術の型も枠からはみ出せず難儀しているという欠点も、な」
大久保が告げたその瞬間、作間の背後で垣崎が思わず失笑した。
「伊織!笑っている場合か!」
切羽詰まった状況にも拘わらず、笑い出す垣崎に対し作間は怒鳴るが、垣崎は笑いを止めようとしない。
「あはは、だって当たっているじゃないですか!間違いなくこの男、渡辺さんの知り合いですよ!」
作間の怒りを他所に垣崎は笑い続けた。そんな二人を見つめつつ大久保は更に作間に語りかける。
「作間駿次郎。貴殿も練兵館に籍を置いていたのなら我らの志が理解できるのではないか?」
その瞬間、北風に煽られて炎が一段と激しく燃え上がった。燃え盛る家の柱が倒れ、火の粉が作間や垣崎にも振りかかる。 全てを燃やし尽くす激しい炎は、まるで大久保の意思がそのまま炎と化したかのようだ。
その炎を背に、大久保は不動明王の如く作間の前に立ち塞がる。
「特に渡辺昇は貴殿を買っていた。『突きの駿次郎』が攘夷の同士に加われば鬼に金棒だと」
何故この男はこのようなことを言い出すのか――――――作間は混乱する。いっそ斬りつけてくれた方が遥かにましだ。
しかし大久保は自分を可愛がってくれた先輩の名を出し、作間の動揺を誘う。そんな大久保のやり方に怒りを覚えつつも太刀筋を全て読まれている為、迂闊に跳びかかる事さえできない。
(どうすれば・・・・・・)
攻めあぐねた作間が脇差の柄を握り直したその時だった。
「おらおら!怪我したくなかったらどいたどいた!火消様のお通りだァ!」
遠くから火消し達の威勢のいい声が聞こえ、徐々にこちらに近づいて来たのだ。その声に大久保達も気が付き、渋い表情を浮かべる。
「そろそろ潮時だな・・・・・・作間駿次郎、気が変わったらいつでも薩摩の大久保一蔵を訪ねて来い。貴殿の席は空けておく――――――行くぞ、俊斎!」
大久保は刀を鞘に収めると、海江田と共にまだ火が回っていない横道に飛び込み、作間と垣崎の目の前から姿を消した。
「待て!逃げるか!」
作間と垣崎は二人を追いかけようとしたが、燃え盛る家が立て続けに倒れ大久保らが逃げた道を塞ぐ。
「ちっ、悪運の強い奴め!」
襲い来る炎や倒れてくる柱を避けながら垣崎は叫ぶ。だがその声は轟々と鳴る炎の渦にかき消されていった。
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- vague~豚屋火事・其の壹
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- ┣ 港崎遊郭連続誘拐事件
- ┣ 初顔合わせ
- ┣ 仏蘭西伝習と駒場野の一揆
- ┗ vague~こぼれ話
総もくじ 夏虫~新選組異聞~
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- ┣ 横浜恋釉
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