「vague~道場主・作間駿次郎顛末記」
港崎遊郭連続誘拐事件の章

vague~誘拐犯・其の貳

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 涼しい、と言うには少々冷たすぎる十月の潮風の中、作間は久しぶりに横浜にやってきた。番所で退屈そうに欠伸をしていた若い番太郎に会釈をすると、ぎしぎしと軋む吉田橋を渡り、関内へと入っていく。

「それにしても痛みが激しいな、この橋は。床が抜けたりしないだろうな」

 嫌な音を立てる足元に、不安げな視線を落としつつ作間はぼやく。人通りが激しい所為か、それとも潮風の影響なのか、江戸の橋に比べて吉田橋の老朽化は妙に激しい。
 米俵や野菜を山と積んだ荷車が何事も無く通っているので、さすがに人間が床を踏み抜くことは無いと思う。しかし時折聞こえる軋み音は、作間に不安を感じさせるのに十分すぎた。大柄な作間はヒヤヒヤしながら吉田橋を渡り切る。

「確か壬戌の年に架け替えられたばかりだと伊織が言っていたよな」

 ペリー来航の翌年、横浜開港に合わせて作られた新大橋は全長六十間もある立派な橋だったと聞く。だが三年後の文久二年、老朽化と橋長の短縮を理由に橋は架け替えられ、名前も吉田橋と変更されたらしい。
 新大橋を名乗っていた前の橋がたった三年しか保たなかったのである。今年四年目のこの橋もそろそろ架け替え時なのかもしれない。そう思いつつ、作間は港崎遊郭へと歩を進めた。



 白萩に逢うのは三ヶ月ぶりである。本当はもう少し早く横浜に出向きたかったのだが、周囲の状況がそれを許してくれなかった。
 将軍・家茂の急逝に続き長州討伐の事実上の敗戦が決定的になるなど、立て続けに悪い知らせに襲われている江戸の町は意気消沈し、折からの米価高騰と相まって経済は混乱を極めている。
 更に長州討伐終結後、徳川慶喜による軍制改革によって陸軍の洋式化が急速に進んでいた。それに伴い旧態依然の剣術を教える町道場に通う者が少なくなり、作間道場もその煽りを受けて江戸市中から通ってくる門弟が僅かばかりではあるが減ってしまったのである。
 だが、経営難になって閉鎖する道場が相次ぐ中、作間道場は潰れずに済んでいた。その理由は作間の教え方が上手い事と、市中の門弟と入れ替わるように多摩方面からの入門者が増加したことに拠る。
 何故多摩地方からの入門者が増加したのか――――――その最大の理由は甲州街道の治安の悪化である。米価が高騰するのと比例し、新宿や甲州街道沿いでは乱暴を働く無宿者が増加していた。幕府軍では洋式化が進んでいるが、さすがに普段の生活で鉄砲を使う訳にはいかない。
 それ故、乱暴を働く無宿者を撃退する為に剣術を習いたいと、いわゆる四谷大木戸の外――――――府中や日野、遠くは八王子からやってきては作間道場の門を叩く入門志願者が相次いでいるのである。また、今までそういった多摩地方の入門者を多く引き受けていた試衛館が経営を縮小しているというのも作間道場への追い風となっていた。
 道場経営をするにあたっては願ったり叶ったりの状況だが、さすがに入門したての門弟達を放り出して横浜へ出向くわけにもいかない。臨時で入った入門金に加え、半ば修行も兼ねた節約生活も功を奏し、花代の十両はひと月しない内に貯めることが出来たが、新入り達がある程度モノになるまではと作間は横浜行きを控えていたのである。
 
 そして十月になり、数日稽古を空けても問題無いと判断した作間は日程を調整し、三日の休みを工面した。行き帰りにそれぞれ半日かかるとして二日は横浜に居られる計算だ。
 勿論一日は白萩との逢瀬に使い、もう一日はこの前出来なかった横浜見物に費やすつもりであった。特に幕府の軍備洋式化が進んでいる中、作間としても洋式の軍艦や武器を見ておきたい――――――そんな幸せ過ぎる妄想に浸りつつ、作間が港崎遊郭が見える大通りまでやってきたその時である。

「おい!しっかりしろ!もう追いかけてくる奴はいねぇんだ!」

 聞き覚えのある男の大声が作間の耳に飛び込んでくる。

「お夏!おめぇは助かったんだ!もう怖がる必要はねぇんだぞ!」

「あの声は・・・・・・・伊織、か?」

 長い付き合いになる作間でさえ、垣崎のここまで切羽詰まった声は聞いた事が無い。何かとんでもない事件に出くわしているのかもしれない――――――そう認識した瞬間、作間は垣崎の声の方へ走り出していた。



 作間が駆けつけた時、その場には人だかりができていた。それは港崎遊郭の南側、外国人相手の豚肉屋の前である。作間が人だかりを掻き分けると、そこには童顔に厳しい表情を浮かべている垣崎がいた。更にその腕には十五歳前後の娘が抱きかかえられている。継ぎ接ぎだらけの藍弁慶に埃で煤けた娘はみすぼらしく見えたが、その顔立ちは意外なほど整っていた。

「おい、垣崎!一体何があったんだ!」

 近くに垣崎の同僚がいるかもしれない。あまり馴れ馴れしい声掛け如何なものかと、作間は他所行きの呼び方で娘を抱きかかえている垣崎にひと声かける。その声に気が付き、垣崎は作間の方へ顔を上げた。

「駿次郎先輩!何でこんな所に・・・・・・ああ、そうか」

 いきなり現れた作間に垣崎は一瞬驚きの表情を顕わにしたが、次の瞬間その驚愕の表情は意味深な笑みに取って代わる。

「岩亀楼の娼妓が忘れられず、のこのこ横浜くんだりまでやってきたんですね。この前は一晩中・・・・・・」

「煩い!黙れ、伊織!」

 大衆の面前で恥を晒されては堪らない。作間は垣崎の言葉を遮って垣崎の隣に座り込んだ。そして垣崎の腕に抱かれている娘の顔を覗き込む。

「伊織、もしかしてこの娘は例の拐かし事件の?」

「多分先輩が睨んでいるとおりですよ。つい二日前、八王子で拐かされたお夏、ってぇ娘です」

 垣崎は娘を抱きかかえたまま、視線だけを豚屋横の路地に向けた。

「豚屋が言うにはこの娘、すぐそこの路地から飛び出してきた、ってぇ話ですが」

 その言葉に、作間が垣崎の厳しい視線の先を追いかける。十月の柔らかく、明るい日差しはどうやら『その先』には届かないらしい。ぽっかりと口を開いた路地は入口付近でさえ薄暗く、更にその向こう側には剣呑な闇が広がっていた。
 正直自ら進んで入って行きたいとは思えぬ雰囲気を漂わせているその路地に、作間は薄気味悪さを覚える。

「おなごの脚じゃそう長い距離を逃げきれるもんじゃありません。きっとこの近くに拐かし犯の根城があるんじゃないかと睨んでいるんですが」

 垣崎は作間に視線を戻しながら低く唸った。

「今、仲間を呼びにやっています。さすがにハマの裏路地に一人入っていくほど俺も無謀じゃないんでね」

「助太刀は?」

 作間が問いかけた瞬間、垣崎は言いようのない複雑な微笑みを浮かべる。

「練兵館師範代の助太刀、ねぇ・・・・・・奉行所の連中が来なければ一も二もなく頼むところですがね、借金十両分と引き替えにしても。しかし奉行所にもメンツ、ってぇもんがあります」

 借金十両分――――――垣崎のその言葉を聞いて、作間はある事を思い出した。

「おい、伊織。そういえば、この前の調査でどれくらい借金を減らしてもらったか聞いてないぞ?」

 確か垣崎は働き分によって借金を減らしてくれると言っていた筈だ。その事を指摘すると垣崎は心外だと言わんばかりに言い放つ。

「え?駿次郎先輩はあの程度の情報で借金を減らして貰えるとでも思っていたんですか?花代だけでも全部で三十両もかかっていたんですから、それで相殺に決まっているでしょう。バカじゃないですか?」

 予想通りの答えが垣崎の口から飛び出したその時、わらわらと神奈川奉行所の役人達がやってきた。そして彼らを見た瞬間、垣崎は作間の後輩の顔から再び神奈川奉行所支配定役の顔に戻る。

「じゃあ駿次郎先輩、俺はこれで」

「今回こそ下手人を捕まえろよ。それと」

 作間は周囲を見渡しながら更に声を潜める。

「岩亀楼内で何か気が付いた事があった場合は奉行所か?それともお前の自宅か?」

「俺の自宅に、と言いたいところですが奉行所に連絡をお願いします。手柄の独占云々と言っている暇も無さそうなので。では、御免!」

 作間に一礼すると、垣崎は気を失っている娘を抱きかかえたまま仲間と合流した。

「お役所務めも楽じゃないな」

 垣崎の後ろ姿を見つめながら作間が肩を竦めた。その刹那、作間は左後方に只ならぬ気配を感じる。

(何者!)

 殺気にも似た、その気配に身の危険を感じた作間は、反射的に振りむいた。



 作間が振り向いたその先には二人連れの男達がいた。一人は作間と同じくらいの身の丈だろうか、周囲と比べて頭一つ分背が高い。もう一人はそこまで背は高くないが、その体躯はがっちりと逞しく、隣の男に見劣りしない。
 年齢的には作間とほぼ同じくらいで、背の高い男はやや年上に見える。そんな作間の視線に男達も気が付き、じっと作間を見つめ返してきた。その視線の強さは人を射抜く、なんて生易しいものではない。
 邪眼、という言葉があるが、それはまさにこの男達の為に作られた言葉に違いない。もし視線に人を殺す能力があるならば、この瞬間、間違いなく作間は殺されているだろう。
 その強すぎる視線に負けじと作間も男達を睨み返す。一触即発のジリジリとした緊張が暫く続いたが、先に視線を外したのは二人連れの男達だった。

「・・・・・・ふぅ」

 張り詰めていた緊張が解け、作間は思わず安堵の溜息を吐く。一体あの男達は何者だろうか―――特に恐ろしいと感じたのは背の高い男の方である。
 逞しい体躯の男は間違いなく剣術使いだろう。だが、腕っ節はともかく剣の技術では確実に作間に劣る。それは身のこなし、視線の動かし方等から瞬時に判断できた。
 その一方、背の高い男は得体が知れなかった。上背の割には華奢な身体つきは剣術を嗜むようには見えない。それこそ作間がぽん、と肩を押したら倒れこんでしまいそうだ。
 だが、他人の行動を全て見透かすようなあの視線に、自分の太刀筋を全て読まれてしまいそうな恐怖を作間は覚える。実は作間はあの男ともう一人、同じような視線を持つ男を知っていた。

(先代――――――斎藤弥九郎大先生の眼と同じ目をしている!)

 練兵館を開いた斎藤弥九郎は武人としても優れた男だったが、韮山代官の江戸詰書役としても優秀だったと聞く。作間自身は弥九郎の息子である斉藤新太郎に師事していた為、直接弥九郎から指導を受けた事は無いが、正月などの行事で挨拶をすることは何度かあった。その時の作間を射抜くような視線は今でも忘れる事ができない。

(あれは・・・・・・優秀な文官の目なのだろうか?)

 だが、それだけとは思えない。男達の正体は気になったが白萩との約束の時間も迫っている。後ろ髪を引かれつつも作間は一人岩亀楼へと向かっていった。




UP DATE 2017.07.19

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誘拐犯の隠れ家を飛び出したお夏は間一髪助けられたようですε-(´∀`*)ホッ幾ら犯人らの目を欺いたと言っても少女と武士の違いはありますからねぇ・・・せいぜい逃げおおせると言っても50m~100mが限度でしょう。幸いその場にふらついていた伊織に助けられたと言うわけです(๑•̀ㅂ•́)و✧
(因みに伊織は定廻りの仕事はしていない設定ですので、この場にいたのは何かしら別件の事件で呼び出されたのか、その帰りだと思われます^^;)

その一方、ようやく岩亀楼へ出向く算段が付いた作間はまたもや事件に巻き込まれる形に(^_^;)しかも怪しげな二人連れにも目をつけられてしまったようですwwwこれが大久保と作間の初対面なのですが、この二人何かと腐れ縁で繋がることとなりそうな予感が・・・今回の話でも後々絡むことになります( ̄ー ̄)ニヤリ

次回更新は7/26、お夏に逃げられてしまった誘拐犯がどのような行動に出るのかその辺が中心になります。

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