「紅柊(R-15~大人向け)」
戊戌・春夏の章

免許皆伝・其の参~天保九年四月の誉

 ←烏のおぼえ書き~其の百九十五・昭和初期の職業婦人・前編 →烏のまかない処~其の三百三・ご近所スーパー閉店後の買い物事情
 銀兵衛が江戸に戻ってくる明日までに秘伝書を書き上げなければ――――――元々の予定より五日ほど早くなってしまった締切に、五三郎は必死にならざるを得なかった。
 潰れている文字を必死に解読し、それを丹念に写し取る。普段は宴会の時にしか使わない蝋燭も、幸に無理を言って使わせてもらうことにした。

「あんまり無理をしないでくださいよ、旦那様。蝋燭だっておひさまの光に比べたら心もとないんですから・・・・・・片腕ならまだしも、目がやられてしまったら刀は振るえませんからね」

 五、六万石の大名並みの収入を持ちながら、供揃えなどを一切しなくて良い浪士の立場にある山田家である。内輪の宴会や刀剣の鑑定で大量に蝋燭を使うので五三郎が五、六本多く使ったところで家計には全く響かない。
だが将来の七代目が目を悪くし、試し切りや鑑定ができなくなっては元も子もないのだ。七代目の妻として口うるさく注意する幸だが、五三郎は右から左にと聞き流す。

「ああ、解ってるって。大丈夫、今夜の内にこいつをやっつけちまうからさ!」

 幸の方を見もせずに必死で筆を動かす。その速さは今までの二倍、否、三倍ほどか――――――この速度で書けるのであれば、もっと早い時期から書いていれば良かったのにと幸は心の中で思うが、人間追い詰められないとなかなか尻に火がつかないものである。

「じゃあ今夜はお夜食も作ったほうが良さそうですね。筍を頂いたので、それの炊き込みご飯でお握りでも作っておきましょうか?」

「お、良いねぇ。あと生姜飯の握り飯も頼む。生姜多めで」

「・・・・・・徹夜するつもりですね。そんな精の付くものを夜食にだなんて」

「当たり前だろ。でなきゃ今夜中にこいつを終わらせるこたぁ出来ねぇ」

「そんなに焦るんだったら早めに仕上げておけばよかったのに」

 そんな幸の嫌味も聞いているのかいないのか、五三郎は再び秘伝書写しに没頭し始めた。



 五三郎の『仲間と心置きなく宴会がしたい』という欲望のせいか、はたまた夜食の生姜握り飯が功を奏したのか一晩がかりで五三郎は秘伝書を全部写し終えた。しかし流石に疲れ果てたのか、書き上げたものをそのままに、文机の前に大の字になって眠っている。朝になってそれを発見した幸は、ぺちぺちと五三郎の頬を軽く叩く。

「旦那様、起きてください!もう、夏とは言え朝晩は冷えるんですよ!風邪を引いたらそれこそ宴会には出られないんですからね!」

 その言葉に五三郎はまぶたを開ける。

「うにゃあ?ああ、もう朝・・・・・・か?」

「朝か?じゃありませんよ。寝所に布団を敷いてありますのでそっちで寝てください。こっちは私が片付けておきますから」

「ああ、頼む」

 相当眠そうだが、それでも乾かしてある秘伝書の写しだけはきっちり避けながら五三郎は部屋を出て、寝所へと向かった。

「あれじゃあお昼のうちはずっと眠っていそう」

 五三郎のふらつく後ろ姿を見送りながら思わず呟いてしまった幸だったが、その言葉は現実のものとなってしまった。



「・・・・・・ぶろう、お~い五三郎。いつまで寝ているんだ?いい加減起きないと他の門弟に酒を呑み尽くされるぞ」

 懐かしい声に五三郎がゆっくりとまぶたをあけると、そこには銀兵衛と二人の幼子がいた。

「おう、銀兵衛さん。済まねぇ。秘伝書の写しで徹夜しちまって・・・・・・うわっ、もう夕暮れかよ!」

 五三郎は慌てて上体を起こす。

「ああ、丸々一巻を一晩で写し終えたんだってな?為右衛門さんが呆れていたぞ」

「だって、銀兵衛さんがこっちに帰ってくるとなったら間違いなく宴会じゃないですか。その宴を心置きなく楽しむにはやっぱり秘伝書を書き上げておかないと。どのみち十五日までには仕上げつつもりでしたし」

 そう言いながら五三郎は銀兵衛の後ろに隠れるように座っている二人の子供に声をかけた。

「お喜美ちゃん、だいぶ大きくなったな。確か八歳だったよな?隣りにいるのが弟かい?」

 すると喜美は笑顔で五三郎の問いかけに答えた。

「はい。弟の銀太郎です。今年で五歳になります」

「ってことは新太郎と同い年か!こりゃあ将来楽しみだな」

「そこはどうだか・・・・・・こいつは結構人見知りがひどくって。新太郎の人懐っこさに助けられたよ」

「銀兵衛さんも付き合いが深くなるまで相手を警戒するところがありますからね。その辺が似たんですかね」

「・・・・・・その辺はぐうの音も出ないな」

「ところでお喜代さんはお元気ですか?」

 五三郎のその問いかけに、銀兵衛より先に喜美と銀太郎が我先にと返答した。

「あのね、あのね。一月にお母様が弟を産んだの!」

「弟、かわいいの!おれの弟なの!」

「本当に今日は子連れでもいいってことで助かったよ。荷物が少ないとは言え引っ越し直後は何かと大変だしな。夜くらいはあいつを休ませたいし」

「部屋の片付けは?」

「勿論すべて終わらせて、挨拶回りも済ませてきた。先に寝ていてくれると良いんだが」

「三、四ヶ月だとまだ夜中起きちまうからな。母親も眠れる時に眠っておかないと」

「全くだ」

 その時である。遠くから幸の声が聞こえてきた。

「みなさ~ん!宴の準備が整いましたので手が空いた人から来てくださ~い!」

「お、そろそろだな。じゃあ皆で一緒に行こうか?」

 五三郎の声かけに二人の子供ははしゃぐ。そんな子供らに苦笑いを浮かべつつも銀兵衛の見つめる目はどこまでも優しいものであった。



 銀兵衛の江戸詰祝いは盛況を極めた。一年前、五三郎の祝言に出席をしている銀兵衛だが、やはり一時的な江戸滞在と本格的に戻ってくるのとでは全く違う。翌日にも稽古があるにも拘らず、門弟たちは浴びるように酒を飲み交わし、銀兵衛の江戸帰還を祝う。

「明日の稽古は真剣は使えないな」

 そうぼやきながらも吉昌も嬉しそうだ。そんな宴も進むに連れて酔いつぶれるものや、藩邸の門限に合わせて帰宅するものがぽつりぽつりと現れる。銀兵衛ら前畑家の面々も門限に間に合うように宴の場を去ると、後は死屍累々と積み重なった酔っ払い達ばかりだ。

「あれ?旦那様は・・・・・・酔っぱらい部屋かな?」

 下女の竹と共に膳を片付けつつ酔っぱらいの世話をしていた幸が部屋を見回すが、そこに五三郎の姿は無かった。

「旦那様?」

 幸は酔っぱらい部屋の襖を開けると、案の定五三郎が湯呑みを手にそこに居座っていた。

「おう、幸。そろそろお開きか?」

「お開きか?じゃありませんよ。接待役から逃げ出して」

「摂待も何もあったもんじゃねぇだろ。あんな酔っぱらいばかり」

 愚痴を言いつつ、五三郎は幸に来いと手招きをした。

「旦那様?一体・・・・・・きゃあ!」

 近づいてきた幸の手を引き、五三郎は幸を抱きすくめる。そして耳許に唇を近づけ囁いた。

「これから色々苦労させちまうけど、よろしく頼むぜ」

「その点に関しては達観しております」

二人は思わず顔を見合わせ、笑いだした。



 天保年間中期――――――いつまでも続くと思っていたこの穏やかな時期は時期に終焉を迎える。大御所・家斉の死去から始まる天保の改革、そしてペリー来航に代表される外国船の来訪やそれによる攘夷、更に開国への騒動の中、山田浅右衛門及び山田一門は『将軍家御様御用』を任される以上に政治犯を処罰する首切り役人としての色合いをより濃くしていった。
 そんな激動の時代ではあったが、それだけに家族及び一門の結束はますます強まり、その絆を保ったまま幕末を迎える事となる。


《 紅柊~了》


UP DATE 2017.4.19

Back 


にほんブログ村 小説ブログ 歴史・時代小説へ
INランキング参加中。
お気に召しましたら拍手代わりに是非ひとポチをv


  
こちらは画像表示型ランキングです。押さなくてもランキングに反映されます。
(双方バナーのリンク先には素敵小説が多数ございます。お口直しに是非v)

 




6年間に渡りダラダラと続けてまいりました『紅柊』、この話を持って最終話とさせていただきます(*^_^*)一ヶ月完結の短編集とは言えここまでお付き合い下さった皆々様、本当にありがとうございますm(_ _)m

そうですよね、この話の初期に出てきた銀兵衛の娘・喜美が8歳になっていたという/(^o^)\今回年齢を数えて思わず『自分も年をとるはずだ』と変なところで納得してしまいました。更に銀兵衛の長男も・銀太郎も既に5歳・・・新太郎と共にこの子が次代の山田道場を支えていくことになるのでしょう。本当はそういうところも書くべきなんでしょうが、作者の根気が限界に(^_^;)更にこの子達に加え、五三郎と幸の間にも6~7人の子供が(史実では)生まれております。資料によって説が違うのですが、どうも4男3女っぽい・・・。
余裕があれば単発でこの子どもたちの世代なども書きたいところですが、今のところお約束は出来ませんので『紅柊』は今回で最終回と言うことにさせていただきますm(_ _)m


改めて6年に渡るお付き合いありがとうございましたm(_ _)m
来週は拍手文、そして5月を準備期間として頂きまして、6月から角川Twitter小説大賞で優秀賞を頂きました『鹿鳴草楼夢』のリメイク版をお届けいたします(タイトルも変更する予定)
よろしかったら次作もご贔屓のほどよろしくお願いいたします(*^_^*)
(リメイクにあたり、一部エロを入れたいんですが、最初は無理かなぁ。男をたらしこむ毒婦のエロが書きたいんですけど・・・続編では多少は入れたい)
関連記事
スポンサーサイト

 関連もくじ一覧 ▼ 
総もくじ 3kaku_s_L.png 夏虫~新選組異聞~
総もくじ 3kaku_s_L.png 紅柊(R-15~大人向け)
総もくじ 3kaku_s_L.png 葵と杏葉
総もくじ 3kaku_s_L.png 横浜慕情(大人向け)
総もくじ 3kaku_s_L.png 短編小説
総もくじ 3kaku_s_L.png VOCALOID小説
総もくじ 3kaku_s_L.png 雑  記
総もくじ  3kaku_s_L.png 夏虫~新選組異聞~
総もくじ  3kaku_s_L.png 紅柊(R-15~大人向け)
総もくじ  3kaku_s_L.png 葵と杏葉
総もくじ  3kaku_s_L.png 横浜慕情(大人向け)
総もくじ  3kaku_s_L.png 短編小説
総もくじ  3kaku_s_L.png VOCALOID小説
総もくじ  3kaku_s_L.png 雑  記
もくじ  3kaku_s_L.png 未分類
【烏のおぼえ書き~其の百九十五・昭和初期の職業婦人・前編】へ  【烏のまかない処~其の三百三・ご近所スーパー閉店後の買い物事情】へ

~ Comment ~

管理者のみ表示。 | 非公開コメン卜投稿可能です。

~ Trackback ~

卜ラックバックURL


この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

  • 【烏のおぼえ書き~其の百九十五・昭和初期の職業婦人・前編】へ
  • 【烏のまかない処~其の三百三・ご近所スーパー閉店後の買い物事情】へ