「紅柊(R-15~大人向け)」
戊戌・春夏の章

免許皆伝・其の壹~天保九年四月の誉

 ←烏のおぼえ書き~其の百九十三・テキ屋 →烏のまかない処~其の三百一・ファミマのうそっこたまごのカスタードプリン
 桜もすっかり散ってしまい、初鰹売の声が江戸の街に響く。初夏らしい爽やかな風が平河町の山田浅右衛門道場に吹き抜け、稽古にはもってこいの季節である。だがそんな素晴らしい季節であるにも拘らず、五三郎は『とある理由』から一室に篭りっきりであった。

「お幸叔母上ちゃま、五三郎叔父上ちゃまは今日もお部屋の中ですか?」

 父親の為右衛門と共に山田道場にやってきた甥っ子の新太郎が、幸の顔を訴えるように見つめる。いつも遊び相手になってくれる優しい叔父が遊び相手になってくれないどころか、顔さえ見せてくれないのだ。幼いながらに心配しているのだろう。
 そんな甥っ子の頭を撫でてやりながら、幸は穏やかに事情を説明する。

「ごめんなさいね。五三郎おじ様は大事なお仕事をしていらっしゃるの。そうね・・・・・・あと十日ほどしたら新太郎ちゃんの相手を思いっきりしてあげられるかも」

「え~!そんなに待つのですか!」

 五歳の子供にとって十日は永遠の長さにも思える長期間だ。そんな長きに渡って五三郎に遊んでもらえないのかと、新太郎が河豚のように頬を膨らませたその時である。

「こら、新太郎!!武士の子がそんな我儘を言うもんじゃない!」

 幼子を強い口調で叱り飛ばしたのは新太郎の父・為右衛門だった。その怒声に新太郎は直立不動になり、幸も思わず背筋を正してしまう。

「全く五三郎のやつが甘やかすからこいつも我儘になって」

 為右衛門は怒りの表情を崩さぬまま、新太郎の頭を軽く拳で小突く。痛さなど全然感じない軽いものだったが、『父親に拳骨を食らった』という事実が、幼子を落ち込ませる。

「いえいえ。旦那様にとっても新太郎ちゃんと遊ぶのは楽しみの一つですし・・・・・・だけど秘伝書の写しがなかなかはかどらないんですよ。潰れている字も少なくなくて。新太郎ちゃん、あとで叔父ちゃまにお茶を淹れるからその時一緒に行きましょうね」

 幸は新太郎を慰めるように語りかけた後、五三郎が篭っている部屋の方へ視線を投げかけた。



「う~ん・・・・・・まだ終わらねぇな」

 自らの左手に積まれた数冊の秘伝書を横目で睨みつけた後、五三郎は首周りの凝りをほぐす為、ぐるりと首を回した。
 試し切りの腕前に関しては文句の付けようがなく、刀剣の知識もかなり身につけてきた五三郎である。そこでようやく四月中旬に免許皆伝のお披露目と相成ったのだが、その前にやらねばならないことがあった。それは免許皆伝に際し、山田家に伝わる秘伝書を自らの手で移さなければならないということである。
 大抵の剣術の流派の秘伝書は思想的な事が多く書かれているが、実際に人の胴を斬らねばならない山田流に於いては事情が違う。具体的な切り方や胴の部所の名前、刀剣の扱い方など膨大な量の知識が事細かに書かれているのだ。それをいつでも手元で見ることができるよう、原本を写し取るという作業が免許皆伝前に行われるのだが、その秘伝書が八冊もあるのだ。


第一:絵図之巻
第二:試者五段之巻
第三:試者台地之巻
第四:居物切り極之巻
第五:居物仕懸ケ様之巻
第六:試者免前之巻
第七:試者極秘伝之巻
第八:試者哥之巻


 以上八冊であるが、第一から第五の秘伝書は初代及び二代目山田浅右衛門の師匠・山野勘十郎から伝習されたものであり、かなり古くなっている。更にこれを写した二代目・山田浅右衛門吉時の字が正直読み取りづらく、写本を困難なものにさせている原因の一つとなっていた。

「あ~~~~!!面倒クセェ!!」

 山と積み上がる厄介な写本に思わず叫び、五三郎が文机の前でひっくり返ったその時、いきなり障子が開いた。

「旦那様、お行儀が悪い!新太郎ちゃんだって見てますよ」

 開かれた障子の向こう側には、盆の上に湯呑みを乗せた幸がいた。その後ろからは新太郎があどけない顔を覗かせている。だが、そんな妻の小言に怯む五三郎では勿論無い。

「たまには良いだろう。跡取り息子だってたまにゃ息抜きが必要だって新太郎にも教えてやらねぇと。どうせ兄貴のことだ、こ~んな可愛い新太郎にだって厳しいしつけをしてるんだろ?ほら、おいで新太郎!」

 五三郎が手招きをすると、新太郎は幸の横をすり抜け、五三郎に飛びついた。厳しい父親より甘やかしてくれる叔父に懐いてしまうのは致し方がないことか。

「もう、甥っ子だからってそんな猫可愛がりに・・・・・・為右衛門先生に後で叱られますよ」

「そん時はそん時だ。な、新太郎!」

 そう言いながら五三郎は自らの膝に新太郎を乗せた。

「新太郎、おめぇも大人になって剣術の免許皆伝、ってなったらこ~~~~んなもんを書かなきゃならなくなるんだぜ?覚えておけよ」

 五三郎は新太郎を軽く抱きかかえ、自分が書いたものを覗かせた。勿論悪戯などされないように両手ともども身体を軽く抱きしめて、だ。

「そんなもの見せたって新太郎ちゃんにはまだ解らないでしょう。いっそ早々に書き上げてしまった『絵図之巻』でも見せたら如何です?」

「あんな不気味なもん、見せられるわけねぇだろ。夜中ションベンに行けなくなったらどうするんだ?」

「・・・・・・既に『本物』を嫌というほど見ている子に言う科白じゃないでしょう。はい、旦那様。せっかく書いた秘伝書にこぼさないでくださいね」

「縁起でもないこと言うんじゃねぇ!くわばらくわばら」

 そう言いつつ五三郎は新太郎を抱えたまま尻でずるずると移動をすると、文机から離れた場所で幸から茶を受け取った。

「しっかしようやく半分か。先はまだまだ長いぜ」

「半分、って言いながら秘伝哥や絵図のような簡単なものは先に写し終えているじゃないですか。まだまだ四半分、と思って取り掛かったほうが良いですよ」

「・・・・・・ぐうの音も出ねぇや」

 五三郎はぬるくなった茶を一気に飲み干すと、空の湯呑みを幸に渡し新太郎を膝から下ろした。

「じゃあもうちょっとばかり頑張るとするか」

「そうしてくださいませ。できれば今月の十五日までには――――――そうすれば十六日の出仕に免許皆伝を幕府にも届け出ることが出来ます」

「そうだな。出仕の度に腰物奉行や老中のおっさんたちにせっつかれるのも厄介だ」

 五三郎は乾いた笑いを浮かべると、今度は膝でずるずると文机に近付き、秘伝書の写しの続きを始めた。



 四月は旅をするにも最適な季節である。それもあり譜代大名の参勤交代もこの時期に多く行われる。それにともなって地方から江戸へ、または江戸から地方への届け物や手紙もまた多く行き交うのだ。
 そんな手紙が二通、山田道場に届いたのは花祭りの日の午後だった。

「へぇ豊岡の猶次郎さんに・・・・・・あれ、こっちは銀兵衛さん?珍しいわね、四兵衛先生や芳太郎さんを通じてじゃないなんて」

 幸は懐かしい門弟の名前に目を細めつつ、その二通の手紙を吉昌の元へ持って行く。

「ほぉ、猶次郎に銀兵衛からか。もしかしたら五三郎の免許皆伝の知らせに対する返事かもしれないな」

「免許皆伝の知らせって。いつの間にそんなものを出していたんですか?」

「いや、貰った年賀状の返事だよ。四月にようやく五三郎が免許皆伝に辿り着くからと、新年の挨拶ついでに書いておいたんだが――――――おや?」

 銀兵衛の手紙を見た瞬間、吉昌は少し驚きの表情を浮かべる。

「どうなされましたか、六代目?」

 すると吉昌は嬉しげに目を細めつつ、手にしていた手紙を幸に渡した。

「どうやら四月は賑やかになりそうだ」

 吉昌の言葉と同時に幸は手渡された手紙に目を落とす。

「あら、また江戸詰になるんですね、銀兵衛さん。為右衛門先生が喜びそう」

 文面に目を走らせつつ、幸が口許をほころばせる。長きに渡って続いた天保の大飢饉もようやく収束を迎え、各藩蓄えも少しづつ出来ていると聞く。川越藩も例外ではなく、ようやく国許に引き上げていた藩士らを江戸に戻すだけの財力が出来たらしい。

「川越藩も年貢の収益もだいぶ上がってきているようだしな。明後日にはこちらに来るそうだ」

 やはり優秀な弟子との再会は嬉しいのだろう。満面の笑みのまま、吉昌は猶次郎からの手紙を取り、そちらも丁寧に開き始めた。




UP DATE 2017.4.5

Back   Next


にほんブログ村 小説ブログ 歴史・時代小説へ
INランキング参加中。
お気に召しましたら拍手代わりに是非ひとポチをv


  
こちらは画像表示型ランキングです。押さなくてもランキングに反映されます。
(双方バナーのリンク先には素敵小説が多数ございます。お口直しに是非v)

 




6年もの長きに渡ってだらだら連載してきました『紅柊』も4月話をもって最終話となります。そこで取り上げるなら『本当の一人前の証』、五三郎の免許皆伝でしょう(๑•̀ㅂ•́)و✧
技術に関しては御様御用も任されているので文句の付けようもなし、刀剣の種類に関しても『刀剣ヲタク』な五三郎のことですからこの時点でめぼしい刀工の作はほぼ全て暗記していると思われます。(この世の中全部の日本刀となったら流石に難しいでしょうけど(^_^;))しかし問題なのが免許を取得するに当たっての秘伝書の写本(^_^;)既に懐宝剣尺などは(必要もあって)写本は既に終えておりますが、一子相伝の秘伝書はそうはいかない・・・缶詰状態で必死に写本をしておりますが、なかなか進まないようです。
そして飽きると甥っ子を引き込んで遊ぶという/(^o^)\五三郎の精神年齢はこの五歳児の甥っ子とほぼ変わらないものと思われます(^_^;)

そして五三郎以外の門弟ですが、まず銀兵衛が江戸に戻ってきます。これは川越藩の財務状況が良くなってきたからということで・・・あとは猶次郎がどんな知らせを寄越してきたかですね(*^_^*)
更に芳太郎にも新たな出来事がありますので、次回はその辺を中心に書かせていただきたいと思います(*^_^*)
関連記事
スポンサーサイト

 関連もくじ一覧 ▼ 
総もくじ 3kaku_s_L.png vague~道場主・作間駿次郎顛末記
総もくじ 3kaku_s_L.png 夏虫~新選組異聞~
総もくじ 3kaku_s_L.png 紅柊(R-15~大人向け)
総もくじ 3kaku_s_L.png 葵と杏葉
総もくじ 3kaku_s_L.png 横浜慕情(大人向け)
総もくじ 3kaku_s_L.png 短編小説
総もくじ 3kaku_s_L.png VOCALOID小説
総もくじ 3kaku_s_L.png 雑  記
総もくじ  3kaku_s_L.png vague~道場主・作間駿次郎顛末記
総もくじ  3kaku_s_L.png 夏虫~新選組異聞~
総もくじ  3kaku_s_L.png 紅柊(R-15~大人向け)
総もくじ  3kaku_s_L.png 葵と杏葉
総もくじ  3kaku_s_L.png 横浜慕情(大人向け)
総もくじ  3kaku_s_L.png 短編小説
総もくじ  3kaku_s_L.png VOCALOID小説
総もくじ  3kaku_s_L.png 雑  記
もくじ  3kaku_s_L.png 未分類
【烏のおぼえ書き~其の百九十三・テキ屋】へ  【烏のまかない処~其の三百一・ファミマのうそっこたまごのカスタードプリン】へ

~ Comment ~

管理者のみ表示。 | 非公開コメン卜投稿可能です。

~ Trackback ~

卜ラックバックURL


この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

  • 【烏のおぼえ書き~其の百九十三・テキ屋】へ
  • 【烏のまかない処~其の三百一・ファミマのうそっこたまごのカスタードプリン】へ