「紅柊(R-15~大人向け)」
戊戌・春夏の章

花見も叶わぬ事情にて・其の肆~天保九年三月の日常

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 まだ明け切らぬ朝もやの中、品川宿を出たと思われる男女の二人連れが六郷川を渡ろうとしていた。歳の頃合い、そして互いに対する仕草からすると夫婦者らしい。近くに川崎大師があり、厄年の若い夫婦が連れ立って厄除け参りに向かう姿は多く見られるこの地域だが、川崎大師へのお参りというにはこの二人は重装備すぎた。

「ふぅ・・・・・・やっと江戸を抜けましたね」

 男は振り返りながら思わず呟く。目深に笠を被っていて目立たないが、その髪は総髪でありやや短めだ。まるで医者が髪の毛を伸ばし始めているか、はたまた還俗した僧侶のような――――――そういった方がしっくり来る。そんな男に対し、妻らしい丸髷の若い女が笑顔を見せる。

「まだまだですよ、寛之輔様――――――いいえ、旦那様。九州の仲間の元までまだまだかかるのですから」

 それは御庭番のふみと武嶋寛之輔――――――以前、日寛と名乗っていた男である。上方で諜報活動をしている仲間と合流するために江戸を立ったのだ。今回はあくまでも諜報の修行としての上方出向だが、初めて江戸を離れる二人の表情はどことなく固い。

「それにしても吉野殿に夫がいたとは・・・・・・感応寺で出会った時はそうは見えませんでしたが」

 今回上方で仲間を率いているのは吉野こと真希の夫である賢五郎である。これは間宮林蔵の体調悪化に伴う人事だったが、その機会に新たな諜報育成を、ということで寛之輔とふみに白羽の矢が立ったのだ。そしてその事を知らされた寛之輔はまさか大奥女中も兼任している真希に夫がいるとはと驚いた次第である。

「でしょう?吉野様は全く所帯じみることがありませんから・・・・・・尤もそれがお庭番のお庭番たる所以なのでしょう。私なんてまだまだ足元にも及ばない」

 はにかんだ笑顔を見せるふみは、どうしても新妻感が滲んでしまう。もしかしたらそれもあって一旦江戸城を離れることになったのだろう――――――そんな事を漠然と思いつつ、寛之輔はふみと共に柔らかな日差しが照り始めた東海道を西へと進み続けた。



 それは昼過ぎのこと、門弟達の昼餉が終わり、午後の稽古が始まる直前のことであった。

「奥様~!八王子の縞買がやってきました!」

 お竹のよく通る声に幸は稽古用にと抱えていた刀を五三郎に押し付け、急いで玄関へと向かった。

「荘三郎さん、いらっしゃいませ!」

 弾む息で幸が縞買の荘三郎に笑みを見せる。

「お綸さんの反物、間に合ったんですね!助かりました・・・・・・本当に無理を言ってすみません」

 嬉しそうに、しかし申し訳なさそうに幸が荘三郎に謝る。実は五三郎の免許皆伝の祝に新たな熨斗目を作ろうと、荘三郎に『お綸の反物』を注文していたのである。例年は大体六月終わりから七月にかけて反物を収めてもらうので、三ヶ月も早い納品だ。それだけに織り上げるのはいくら名人でも難しいかもしれないと諦めていたのだが、綸はそれをものの見事にやってのけたのである。

「いえいえ、確かに期間が短かったっというのはありますが、お綸の反物を次代山田浅右衛門免許皆伝の祝いの席に、となりゃあ無理しない訳にはいかないでしょう。というかお綸が仕事に夢中になっちまって炊事洗濯両親の世話からてめぇのガキの襁褓変えまでもぜ~んぶ亭主の俺がやってました」

 流石に上得意の、しかも免許皆伝祝の品とあっては織物職人として譲るわけにはいかなかったのだろう。朝から晩まで機織りに勤しんでくれた綸に代わり、荘三郎が全ての家事を引き受けていたようだ。それだけ大変な作業だったのだ。

「本当に感謝します。お綸さんにもよろしくお伝えくださいませ」

 幸は頭を下げながら袱紗に包まれた金子を荘三郎に差し出す。それは相場の二倍の金額だったことを、荘三郎は八王子に帰ってから知ることとなる。



 縞買の荘三郎と入れ替わるように、刀匠の固山宗次が新たな刀を手に持ってやってきた。だが、正面玄関からやってきた荘三郎とは逆に固山はとんでもないところから屋敷の中に入り込んできたのである。

「お~い、五三郎!新しい刀を作ってきたぜ!俺からの免許皆伝祝だ!」

 使用人が使う勝手口からしれっと庭に入り込んできた固山に、若手門弟はぎょっ、とした表情を浮かべた。だが五三郎や芳太郎、そして利喜多など古株の高弟達は平然と固山を迎え入れる。

「おう、久しぶりだな宗兵衛さん!ここ最近見かけねぇと思ってたが」

 五三郎の言葉通り、ここ一年近く――――――五三郎と幸の婚礼以降、固山は山田道場に顔を出していなかった。それだけに若手門弟が固山の突飛な行動に驚いてしまったのだ。その事をさり気なく伝えると、固山は頭を掻きつつその理由を説明した。

「ああ、ちょいと尾張の方で弟子を見てたんだ。しかしおめぇがようやく免許皆伝を迎えるとあって居てもたってもいられなくてな。こいつを造ってきたんだ」

 どうやらわざわざ免許皆伝祝の刀を造ってきてくれたようだ。固山は尾州桟留縞の刀袋に入った刀をそのまま五三郎に手渡した。

「去年の結婚祝いにやった刀、そろそろくたびれている頃だろう。狂いも直してやるから、その間はこっちを使ってろ」

 そう言うと、固山は五三郎が腰に指していた大刀を鞘ごとするりと引き抜く。その素早さに五三郎は驚き、呆れた。

「刀のこととなると素早ぇな、宗兵衛さんは。ま、頂戴できるんならそれに越したことはねぇけどよ・・・・・・お~い、幸!」

 五三郎が家の中に向かって声をかける。するとその声と共に幸がお茶とお茶請けを手にやってきた。どうやら外の騒ぎを聞きつけ、お茶の準備をしていたらしい。

「もう、天下の『固山宗次』ともあろう御方が勝手口から・・・・・・宗兵衛さんらしいと言えばらしいですけど」

 苦笑いを浮かべつつ、幸は固山に茶を勧める。そして五三郎から渡された新しい刀を袋から取り出し、五三郎よりも先に鞘から引き抜いた。

「あれ、互の目乱れなんですね今回は。いつもの丁子乱れじゃなくて」

 春の陽光に煌めく刀身を見つめながら幸が怪訝そうに尋ねる。

「ああ。どうもそっちのほうが折れにくい感じがしてな。あくまでも気分的なもんなんだろうけど――――――ってことで、三日後までにこいつは調整しておくから、お前さんはこの刀の使い勝手をそれまでに試しておいてくれ」

「え?もしかしてこいつもまだ手直しするつもりですか?」

 てっきりこのまま渡されるのかとばかり思っていたのだが、どうもそうではないらしい。驚く五三郎に、固山はさも当然とばかりに胸を張る。

「あたぼうよ。まだ細かな研ぎはしてねぇんだ。お前さんの使い勝手を聞いてからのほうがいいだろうって」

「かたじけねぇ」

 五三郎は笑みを浮かべつつ、幸から渡された刀をまじまじと見つめた。どんな造りであっても『固山宗次』、その力強さは変わらない。

「俺も一日も早く『固山宗次』の銘に恥じねぇような腕前にならねぇとな」

 しみじみと呟く五三郎に、固山は思わず笑い出す。

「おいおい、言ってくれるぜ。そいつぁ俺のセリフだ。『七代目・山田浅右衛門』に相応しい刀を造らけりゃならねぇ」

 互いに切磋琢磨し、より良い刀を作り上げてゆく――――――それが刀匠と試し切り芸者の関係なのだ。仲は良いが、一本ピンと張った緊張感は維持してゆく――――――そんな二人に午後の陽光は柔らかく降り注いでいた。




UP DATE 2017.3.22

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今回は御庭番達、そして五三郎の免許皆伝を彩る着物や刀関係の人々の近況を書かせていただきました(*^_^*)これで目ぼしい脇役たちは全部書けたんじゃないかと思われます(^_^;)
改めて振り返ってみると色々な登場人物が出ていたんだなぁと、感慨深いものが(●´ω`●)何だかんだで6年近く書いておりましたからねぇ。多くの登場人物が出てくるのも当然かもです(*^_^*)

来週は拍手文、そして次回からはとうとう最終話『免許皆伝』をお送りいたします(そこで門弟達の近況も語りたいと思っております(*^_^*))
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