「紅柊(R-15~大人向け)」
戊戌・春夏の章

花見も叶わぬ事情にて・其の壹~天保九年三月の日常

 ←烏のおぼえ書き~其の百八十八・昭和初期のアパートメント・後編 →烏のまかない処~其の二百九十六・ふぐ寿司
 彼岸桜から咲き初めた諸々の桜花が江戸の街を彩る。雛祭の喧騒もひと段落した三月の中旬、すみが仕事の為平河町の山田道場へやってきた。彼女が直接出向く時、それは効果な薬の原料を持ってくるときである。この日も真珠と朝鮮人参を手土産に幸の許へと現れた。

「おすみちゃん、そろそろ人任せにしちゃってもいいんじゃないの。もうそろそろ臨月でしょ?兄上や旦那様がやきもきするんじゃないの?」

 そう尋ねながら、幸はふっくらと膨らんだすみの腹に手を当てた。その手にはしっかりとした胎動が伝わってくる。ここまで腹の中で元気に暴れまわる子供も珍しいだろう。

「本当に元気なややだね。旦那さんに似たのかな?」

 手を当てながら、幸は微笑みを浮かべる。

「どうやらそうみたいです。この子も旦那様もじっとしているのが苦手で」

 すみも苦笑いを浮かべつつ自らの手もそっと腹に添えた。その穏やかな声音に、幸はほんの微かな揺らぎを感じる。

「動き回るって・・・・・・もしかして先月の件?お春ちゃんとおウメちゃんの」

 被差別民とはいえ支配下の娘が二人も殺されては浅草弾左衛門としても黙ってはいられない。すみの兄、そして夫はその犯人探しのため各方面に手をつくしていると聞いているが、芳しい成果は見られないようだ。その事を恐る恐る尋ねると、すみは小さなため息とともに胸の内を語り始めた。

「そうなんです。お幸様にもせっかくご贔屓にして頂いてましたのに、あの子達がこんなことになってしまって・・・・・・しかも、下手をすると下手人は町奉行所では手に負えない相手かもしれないって」

 すみの言葉に幸も思い当たる節があるらしく、大きく頷いた後に口を開いた。

「そう言えば幾田さん、言ってたね。周囲の状況からすると御家中の色恋沙汰にあの子達が巻き込まれた可能性が高いって」

「そうなんです。だから旦那様は『町奉行があてにならないなら』って、他の方面から働きかけを行っていて・・・・・・諦めが悪くて困ってます」

「何言ってるの。それくらいじゃないと長吏の権利はどんどん削がれちゃうじゃない。一族の権利を護るにはそれくらいの人じゃないと――――――」

 幸がそう言いかけたときである。下女のお竹の声が響いた。

「お嬢様~!定廻りの幾田さんがお目見えですよ~!」

 普段であれば吉昌や五三郎が対応するのだが、この日は小伝馬町のお仕置きに出ていて家には幸とお竹しかいなかった。それ故におすみもこの日を選んで平河町へやってきていたし、客への対応は幸に任される事となる。

「噂をすれば何とやら・・・・・・おすみちゃん、ちょっと待っていてね」

 幸は帰ろうと腰を浮かせようとしたすみを押しとどめると、急いで玄関へと回った。



幸が玄関へ出向くと、そこには定廻り同心の幾田と、すっかり手下が板についた恭四郎がいた。

「どうしたんですか、幾田さん?今日は六代目以下全員小伝馬町に・・・・・・」

「ああ、承知している。師匠が帰ってくる頃にもう一度立ち寄らせてもらうが――――――お幸ちゃんよ、この着物の柄に見覚えはあるかい?」

 幾田はそう幸に尋ねつつ背後を指差す。そこには大八車に乗せられ、筵をかけられた亡骸があった。そして恭四郎が筵を取り除くと、袴に二本差しという、明らかに武士と思われる男が変わり果てた姿で現れた。

「ついさっき、お堀に浮いていたのを引っ張り上げたんだが」

 亡くなってからだいぶ日数が経過しているらしく、顔の部分の痛みが激しくて目鼻立ちは判らない。辛うじて判別できるのは着物の柄だけだが、江戸の流行からは遅れている柄物だ。

「う~ん、この着物の柄は見覚えがありませんし、顔立ちもこれだとちょっと・・・・・・だいぶ腐乱していますね」

 あまりの腐臭にほんの少しだけ眉をひそめた幸だが、一通りはきちんと見る。だが、門弟は勿論、出入りの者もこのような着物は着ない。

「ああ。死んで五日から十日、ってところかな。ちゃんとした検死をしなきゃならねぇんだが、こんな状況だとちょいと俺の手に負いかねる。適当な医者に見てもらえればと」

「だったらワラ店の澄庵さんを呼んできましょうか?」

 幸の申し出に、声を上げたのは幾田ではなく付き従っていた恭四郎だった。

「あ、そいつなら俺も知っています。飲んだくれですけど腕は確かですよ、幾田さん」

「お前やお幸さんが揃って勧めるなら腕は確実だな・・・・・・恭四郎、そいつを呼んでこい」

「へいっ!」

 威勢のいい声と共に、恭四郎は山田道場を飛び出した。



 程なくして恭四郎は澄庵を連れて山田道場に戻ってきた。しかし二人の会話はかなりの喧嘩腰だ。

「ったく、人がこれから御殿山に花見に行こうってぇ時に何だよ、『お上の御用』だって。少しは気働きってもんをするとか・・・・・・」

「お上の仕事に気働きも何もあったもんじゃねぇんだよ!そもそもこの陽気で仏が浮いてきたんだろうから」

「ふん。きっとその仏もお堀の花見をしたかったんだろうよ。それなのに無粋な武左公に引っ張り上げられて筵にくるまれるたぁ気の毒にも程がある。あ~あ、折角いい酒を買ったのによぉ」

 ぶぅぶぅと文句をたれながら澄庵は大八車に横たえられた亡骸を一瞥する。

「なるほど・・・・・・どうやら切腹した後に入水したらしいな。こんだけきれいな切り口、野良犬や亀じゃ土台無理だ」

 そう言いながら澄庵は亡骸の腹のあたりを指し示した。確かにそこな腐敗しながらも明らかに刀傷と思われる切り口がぱっくり開いている。

「覚悟の切腹だったが介錯人もおらず、苦しんで転げ回ったその先がお堀だった――――――そして水際の木の根に引っかかって十日ばかし浮き上がれなかった、そんなところだろ。こんなまぬけな死に方をするのは、江戸に来たての勤番にほぼ間違いねぇ」

「言い切るな、澄庵さんよ」

 茶化し半分の幾田の言葉だったが、酒に充血した眼でぎろりと幾田や恭四郎を睨みつつ澄庵は言い切った。

「旗本・御家人だろうが、江戸定府の勤番だろうが、江戸に済む武左公はもっと賢しいだろう。この数年、武士が切腹自害をしたなんて話どれだけ聞いたことがある?それに切腹するんだったらせめて藩邸の庭だ。江戸城のお堀の畔じゃあ後々厄介事が多すぎる」

 その指摘に幾田も恭四郎も苦笑いするしか無い。

「賢しい、というより腰抜けと言ったほうが良いかもしれねぇ。確かにそう簡単に江戸の武士は自害しねぇし、できる環境じゃねぇよな――――――となると、近場の藩邸を当たったほうが良いか」

「そうとも限りませんよ。ここは甲州街道の近くですし、藩邸に辿り着く前、その途中でという可能性も考えたほうが」

 幸の提言に、幾田と恭四郎が目を合わせて頷いた。

「確かにな――――――恭四郎、取り敢えずこの端切れを持って近隣の藩邸を当たってくれ。行方知れずの藩士がいるのならあちらさんだって心配するだろう。俺は奉行を通じて目付に報告する。もしかしたら・・・・・・例の事件に関わっているかもしれねぇしな」

「例の事件と言いますと、鈴ヶ森の?」

「ああ、弾左衛門のところの若い二人も殺された奴だ。あの下手人も上っていねぇし、もしかしたら、ってこともある。どんなに小さな可能性も潰していかねぇとな」

「よろしくお願いします。実はおすみちゃん――――――次代の浅草弾左衛門の妻も今来ておりまして、彼女も心を痛めているんです」

「判った。任せておけ。たぶん今月中には何らかの報告ができるだろう。あとすまねぇがこの仏を暫く預かってもらえねぇか?」

「はい、承知しました。確かにこれを大八車に乗せて奉行所まで、というのは難しいですよね」

 それほどまでに亡骸は傷んでいた。他の胴が入っている室に一緒に置くわけにも行かないが、縁側の下の仮置き場に置くことは可能だろう。

「ありがとうよ。じゃあ俺達はこれで」

 そう言い残すと幾田は恭四郎と澄庵を連れ、山田道場を後にした。



UP DATE 2017.3.1

Back   Next


にほんブログ村 小説ブログ 歴史・時代小説へ
INランキング参加中。
お気に召しましたら拍手代わりに是非ひとポチをv


  
こちらは画像表示型ランキングです。押さなくてもランキングに反映されます。
(双方バナーのリンク先には素敵小説が多数ございます。お口直しに是非v)

 




紅柊も来月の最終話に向けてまとめに入らせて頂くことになりましたm(_ _)m
その第一弾が定廻り同心の幾田と元・盗人である手下の恭四郎、そして近所の飲んだくれ医者・澄庵に長吏の娘で幸の友人でもあるすみです(*^_^*)
すみは臨月にも関わらず薬種の仕事をし、幾田達は江戸の平和のために八百八町を駆けずり回っております。そして澄庵は飲んだくれながらもあいかわら腕利きのようで(^_^;)それぞれ花見に行く余裕はないものの元気に働いているようです(*´ω`*)

次回更新は3/8、罪人たちへ読経をしてくれる清充や牢屋敷の関連の人たちの現在を取り上げたいともくろんでおります(๑•̀ㅂ•́)و✧
(エロ関連の登場人物は後半に予定しております(^_^;)今月は4回あるので何とか盛り込めるかと(^_^;)←エロが盛り込めるとは限りません(>_<))
関連記事
スポンサーサイト

 関連もくじ一覧 ▼ 
総もくじ 3kaku_s_L.png 夏虫~新選組異聞~
総もくじ 3kaku_s_L.png 紅柊(R-15~大人向け)
総もくじ 3kaku_s_L.png 葵と杏葉
総もくじ 3kaku_s_L.png 横浜慕情(大人向け)
総もくじ 3kaku_s_L.png 短編小説
総もくじ 3kaku_s_L.png VOCALOID小説
総もくじ 3kaku_s_L.png 雑  記
総もくじ  3kaku_s_L.png 夏虫~新選組異聞~
総もくじ  3kaku_s_L.png 紅柊(R-15~大人向け)
総もくじ  3kaku_s_L.png 葵と杏葉
総もくじ  3kaku_s_L.png 横浜慕情(大人向け)
総もくじ  3kaku_s_L.png 短編小説
総もくじ  3kaku_s_L.png VOCALOID小説
総もくじ  3kaku_s_L.png 雑  記
もくじ  3kaku_s_L.png 未分類
【烏のおぼえ書き~其の百八十八・昭和初期のアパートメント・後編】へ  【烏のまかない処~其の二百九十六・ふぐ寿司】へ

~ Comment ~

管理者のみ表示。 | 非公開コメン卜投稿可能です。

~ Trackback ~

卜ラックバックURL


この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

  • 【烏のおぼえ書き~其の百八十八・昭和初期のアパートメント・後編】へ
  • 【烏のまかない処~其の二百九十六・ふぐ寿司】へ