「紅柊(R-15~大人向け)」
丁酉・秋冬の章

春、遠からじ・其の壹~天保八年十ニ月の知らせ

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 毎年のことながら、山田道場の年末年始は挨拶回りに忙しい。この時期まともに稽古ができるのは入門一、二年目の若手たちのみで、三年目にもなれば挨拶回りに駆り出され、古参高弟ともなれば毎日二、三箇所は絶対に出向いて日頃の礼をしにいかねばならない。特に名実共に『次世代の山田浅右衛門』として認められた五三郎の負担はかなりのものだ。大名から大身旗本、そして豪商と連日の挨拶回りは新入り門弟の稽古を終えた昼過ぎから夜遅くにかけて行われ、帰宅時間は木戸が閉まるギリギリということもままあった。
 それだけでも大変なのに、更に厄介なのは行く先々で聞かれる『五三郎の免許皆伝』の話題である。

「婿入り後の御様御用もん無事済んだ事だし、そろそろ免許皆伝なんじゃないか?」

 自ら盃を差し出しつつ、にこやかな笑顔で単刀直入に切り出してきたのは酒井雅楽守だった。好奇心満々に 身を乗り出してくる酒井に苦笑いを浮かべつつ、五三郎は『暫くは難しそうです』と告げる。

「まだ師匠から免許皆伝の話は出ていないのです。なので早くても来年の秋以降じゃないかと」

 五三郎の言葉な事実であった。実際まだそのような話は出ていない。五三郎よりも早く御様御用を任された芳太郎もつい二ヶ月ほど前に免許皆伝を許されたほどである。それを考えると五三郎も来年の秋から冬にかけて――――――年末のあいさつ回り直前の免許皆伝が妥当な時期かと思われた。

「早く師匠から一人前と認められたくはあるのですが、なかなか難しいものがありまして」

 すると酒井は少しがっかりした表情を浮かべたが、すぐに気を取り直して笑顔を見せた。

「年明けくらいには判るかな。新年の挨拶を楽しみにしているぞ。それと跡取りの話だが・・・・・・そろそろなんじゃないのか?何せ跡取りには毎回悩まされている御様御用家、何事も早いことに越したことはないと思うが」

 免許皆伝の話以上に突っ込んだ物言いをしてくる酒井に、五三郎も、そして隣りにいた芳太郎も慌てて否定する。

「い、いえ。なかなかその気配は・・・・・・やはり一人前になってからという神仏の思し召しなんじゃないかと。ではそろそろお暇をさせていただきます」

 五三郎はお茶を濁し、そそくさとその場を後にした。

「本当に今日びの大名は下世話でいけねぇ」

 姫路藩邸の門をくぐり抜け、関係者の影も見当たらなくなってから五三郎が芳太郎にぼやく。

「仕方ないさ。これも世渡りと開き直らないと」

 刀に関しても製薬に関しても大名家は上得意である。機嫌を損ねるわけにもいかないと、酒でおぼつかなくなった足取りで次のあいさつ回り先へと向かった。



 五三郎と芳太郎が道場に戻ったのは、暮れ六つの鐘が鳴った直後だった。普段は木戸が閉まる時間ぎりぎりまで大名の相手をさせられることが多いこの時期だが、今回は偶然にもこの日最後の挨拶回りに出向いた飫肥藩主・伊東祐相が風邪で寝込んでしまっていたのだ。なので江戸家老に簡単な挨拶だけし、後日改めて伺うとこの日は早々に帰宅することが出来たのである。

「しかし大丈夫かな、左京大夫殿は。先代も先々代も蒲柳の質だったし」

 山田道場の通用門をくぐり抜けながら、五三郎は心配そうに呟く。そんな呟きに対し、芳太郎も秀麗な顔を憂いに曇らせた。

「確かどちらも二十歳前後で病に倒れられたんだよな?でも江戸家老殿は軽い風邪だって言っていたから、大事を取ったんじゃないか?あそこの殿様には無理はさせられないよ」

 飫肥藩は二代続けて藩主が若死にしているだけあって、ついつい関係者は神経質になってしまう。今代の藩主・祐相は自らの父である先々代が二十一歳、先代藩主の叔父が十八歳で他界したため、僅か三歳で藩主になったという経歴の持ち主だ。なのでちょっとした風邪でも神経質になってしまうのは致し方がない。

「それに比べて俺達は扱いが雑だよなぁ。稽古の後に挨拶回りなんて・・・・・・腕よりも五臓六腑のほうが鍛えられそうだ」

 五三郎の口からそんなボヤキがこぼれた、まさにその時だった。

「お二方、お帰りなさいませ。旦那様、六代目がお呼びです」

 玄関で出迎えた幸が五三郎に声をかけたのである。

「お師匠様が?一体なんだろう?」

 怪訝そうに小首を傾げつつ、五三郎は幸に大刀を手渡し、草履を脱ぐ。

「もしかして秘蔵の『村正』に傷をつけたのがバレたんじゃないのか?」

 からかい半分の芳太郎の言葉に五三郎は気色ばんだ。

「縁起でもねぇことを言うんじゃねぇ芳太郎。そもそも『村正』のあの傷は元々付いていたもんだったし、お師匠様だって立ち会っていたじゃねぇか」

 五三郎はふくれっ面を晒しながら、幸に尋ねる。

「幸、おめぇは何か聞いてねぇのか?」

「さぁ。直接六代目に伺ったら如何ですか、兄様」

 結婚した幸が閨以外であえて五三郎を『兄様』と呼ぶ時、それは何か隠し事をしている時である。ただ悪い隠し事ではなく、大体喜ばしい隠し事ではあるが・・・・・・。それを敏感に感じ取った五三郎は表情を緩める。

「ああ、そうさせてもらうよ。どうやら叱られることは無さそうだしな」

 幸の表情を確認した五三郎は、早々に川越藩藩邸に戻ると告げた芳太郎を見送り、奥へと入っていった。



 身だしなみを整えた後、五三郎は吉昌がいる奥の間へと幸と共に出向いた。

「お師匠様、お待たせしました」

「ああ、挨拶回りご苦労。早速だが座ってくれ。幸もだ」

 吉昌に促され、五三郎は幸と共に吉昌の前に座る。穏やかな表情から読み取り限り、『厄介事』では無さそうだ。

「お前たちに今日伝えるのは・・・・・・」

 少々勿体ぶった物言いに、五三郎はごくり、とつばを飲み込む。

「五三郎、お前の免許皆伝の時期だ。幕府からの要請もあり、来年の夏――――――四月の終わりまでには免許皆伝をさせる。幸も何かと大変になると思うが、五三郎を支えてくれ」

「また急なお話ですね。幕府からの要請、との事ですが、もしかして特定の御方のご意向でしょうか?」

 五三郎が口を開く前に幸が尋ねる。どうやら幸も五三郎の免許皆伝はもう少し後になると思っていたらしい。そんな幸の質問に、吉昌は言葉を選びつつ答えた。

「ああ。どうやら水野越前守の思惑らしい。代替りしたとは言え未だ大御所様の権威が強い。その中で少しでも大樹公が手を付けられるところから変えていこうという事だろう」

 吉昌の言葉に二人は深く頷く。

「本当であれば来年の秋くらいを目処二、と思っていたができるだけ早くとのお達しがあった。そもそも腕に関しては問題ないが」

そう言いながら吉昌は立ち上がり、隣の部屋の襖を開く。するとそこにはだいぶ年季の入った書物が重ねられていた。

「そ、それはまさか・・・・・・」

「そうだ。『懐宝剣尺』と『古今鍛冶備考』―――――――これを全て諳んじてもらう。流石に半分くらいはもう大丈夫かと思うが」

 『懐宝剣尺』と『古今鍛冶備考』、それは幸の祖父に当たる五代目・山田浅右衛門吉睦が書き記した、刀工ごとに切れ味を分類した書物である。時に刀の鑑定も行う山田浅右衛門だ。最低限ここに掲載されているものは頭のなかに入れておけということだろう。
 しかし先に記された『懐宝剣尺』でさえ最上大業物十四工を筆頭に二百二十四工、『古今鍛冶備考』に至ってはその後倍近くもの刀工が掲載されているのだ。流石によく扱っている刀であれば覚えているが、そうでない刀は覚えきれていない。

「これさえ覚えられれば年明けすぐにでも免許皆伝を許すことができるが、できるかか?」

「それはご容赦を・・・・・・夏中ということにしておいてください、お師匠様」

 うろ覚えならまだしも完全に諳んじるとなると最低でも三ヶ月は欲しいところである。酒の酔とは明らかに違うめまいを覚えつつ、五三郎はがっくりと頭を下げた。



 善は急げ、とばかりに五三郎は早速『懐宝剣尺』を寝室に持ち込み、行灯の下で読み漁り始めた。だがまだ少し酔いが残っているのか、あまり馴染みのない刀工の名前が全然頭に入ってこない。

「今日は諦めたらどうですか、旦那様」

 見るに見かねた幸が、五三郎に声をかけてくる。

「字面だけじゃなかなか覚えられませんよ。年末のお手入れもありますし、明日から実際の刀を見て覚えたほうが宜しいかと」

「ああ、そうさせてもらうよ」

 五三郎は諦めたのか手にしていた書物を閉じる。そしてするり、と幸の布団の中に入ってきた。冬の夜気にすっかり冷え切った五三郎の身体に、幸は身震いする。

「冷たい、兄様!こんなに冷え切って」

「だから暖かい方に入ったんじゃねぇか」

 そう言いながら五三郎は幸を抱きしめ、脚を割り込ませてきた。

「ちょっと、人の体で暖を取るなんて!もう冷たいったら!」

 冷え切った肌をくっつけられた幸は流石に抵抗するが、五三郎の腕や脚はなかなか払うことが出来ない。五三郎は更に冷え切った身体を幸に密着させ、頬をすり寄せた。

「良いじゃねぇか。二人で暖まれば」

 そう言いながら五三郎は幸の耳朶を軽く喰む。

「あんっ」

 冷え切った体の中、五三郎の唇や舌だけは何故か熱を帯びていた。その熱っぽさと軽い愛撫に幸の身体は敏感に反応してしまう。

「まだ明日から暫く挨拶回りで帰りが遅くなるだろうし・・・・・・いいだろ?」

 五三郎は冷え切った掌を幸の胸許に滑り込ませつつ、何かを言おうとした幸の唇に自分の唇を重ねた。



UP DATE 2016.12.7

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久々の主人公CPネタです/(^o^)\というか主人公なのに影が薄くて申し訳なくて(^_^;)
例年と変わらず挨拶回りに忙しい山田道場門弟ですが、今回は五三郎の『免許皆伝』の話が出てきます(*^_^*)
ええ、御様御用そのものは免許皆伝していなくてもできるのですよ・・・将軍家の御刀とはいえ試し切りだけなら。しかしその他のことを含めた『免許皆伝』ともなると色々大変なようです(^_^;)本編でも書かせていただくように一番最初の御様御用から2年後、というか山田家跡取りと紹介された後での免許皆伝ですからねぇ(^_^;)五三郎と幸の結婚が早すぎたのか、それとも免許皆伝がそれだけ大変なのかは定かではありませんが、ようやく免許を取得できるところまでやってきたようです。しかしその前に大量に覚えるものがwww
某刀剣ゲームのようのキャラ付けされているわけでもなし、数は膨大だし・・・果たして五三郎は夏中にこれらを暗記することができるのでしょうか?
なお、次回は二人でぬくぬく(★)いたしますので、苦手な方はスルーしちゃってくださいませね(〃∇〃)
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