「紅柊(R-15~大人向け)」
丁酉・秋冬の章

紅葉匂う・其の参~天保八年十一月の覚悟

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 提案を受けた翌日、日寛は益太郎に連れられて紅葉山の御文庫へとやってきた。燃えるような紅葉に彩られた見事な紅葉山に、日寛は思わず感嘆の声を挙げてしまう。

「素晴らしいものですね」

 感応寺もそれ相応に庭の手入れをしているが、流石にここまでとはいかない。色鮮やかな掛け軸がそのまま現実にしたような、非現実的とも言える紅葉に日寛ははしゃぐ。そんな弟に、益太郎は少しは落ち着けと肩に手をおいた。

「今年は特に色づきが良いから、お前がはしゃぐのも無理はない。だが、そんな余裕があるのも今のうちだけかもしれないぞ」

 脅しのような益太郎の言葉に、日寛は思わず笑う。

「ご冗談を。そもそも私が即座に役に立つとも思えません。でもせめてこの紅葉が色褪せることには最低限の仕事ができるようにはなりたいですね」

 何せここは将軍家や幕府の貴重な蔵書を管理する『御文庫』だ。素人に毛が生えた程度の自分が即戦力になるとは、日寛は到底思えなかった。だがそう思い込んでいるのは当の本人だけで、日寛の読みはものの見事に外れることとなる。



 経典の修繕をやっつけ仕事でしたことがあるとは言え、本格的な修繕は習ったことがない。そんな日寛だったが指導者が良かった為もあり、その日の内に虫食いの穴埋めができるようになった。更に元々字が美しく、楷書隷書の心得もあったので『翌日から本格的に働いて欲しい』と益太郎の上司でもある同心頭の平田に告げられた。

「本当に大丈夫なのですか、兄上?幾ら血の繋がった兄弟とは言え、他所者を簡単に受け入れすぎではないかと」

 明日からの出仕を告げられた後、日寛は流石に不安になり兄に尋ねる。感応寺でさえ僧侶の受け入れはもう少し厳しい。尤も感応寺のほうは後ろ暗い行為を寺内でやらかしているせいもあるのだが・・・・・・。そんな心配をする弟に、益太郎は『御文庫の中は実力主義だ』と告げた。

「家柄重視の武家社会には珍しい場所なのだよ、ここは。そもそも家柄からしたら武嶋家は家格が高すぎる。だが俺は実力でこの仕事に就かせてもらっている。お前だったそうだぞ。御文庫のために使える力、必要な知識があれば自分を卑下することもない。それに・・・・・・」

 益太郎は茶を呑みながら言葉を続ける。

「腹違いの兄弟、というのは御文庫ではかなり強い血縁関係だぞ。兄弟でも向いていないものは門前払いだ」

「確かにそうだ。今は出世頭の益太郎も、最初は本当に酷いもんだった。指先も不器用だったし」

 話に入っていた同心頭の平田の言葉に、益太郎が苦笑いを浮かべた。かなり思い当たるフシがあるらしい。

「しかし普段が生真面目な益太郎が弟を、なんていうから『こいつも身内には甘いのか』なんて思っていたが・・・・・・予想以上に使える弟御だったな」

「いえいえ、せっそ・・・・・・某などとてもとても」

 つい癖で『拙僧』と口にしてしまいそうになり、慌てて言い直す。

「謙遜することはない。経典の補修の真似事をしていたとは言え、なかなか筋が良いし、楷書や隷書の嗜みがあるのはありがたい。武嶋の親父殿に相当厳しく仕込まれたな」

 平田の言葉に二人は思わず頷いてしまった。確かに二人の父親は躾や教育にかなり厳しく、日寛もそれが嫌で逃げ出し、不良仲間と遊ぶようになったのだ。だがそんないやいや仕込まれた知識でも今は役になっている――――――今更ながら日寛は亡くなった父に感謝した。

「さすがに初日からこき使うのも気の毒だ。今日はこの辺にしておいたらどうだ?」

「そうさせていただきます。こいつにはまだまだ覚えてもらわないといけないことが多そうですしね」

 明日から早速仕事を押し付けられそうだが、むしろ今までも事を忘れるにはそれくらいのほうが丁度いいかもしれない。日寛は微かにほほ笑みを浮かべつつ、小さく頭を下げた。



 流石に三日程は諸々の仕事を覚えるのに苦労したが、決して頭が悪いわけではない日寛である。十日もすると大方の仕事の流れを覚え、虫食い修繕の仕事は他の同心の手を煩わせずにできるようになった。
 真っ赤に染まった紅葉山も枯色が目立つようになり、その落ち着きのまま日寛の心も徐々に落ち着きを得始めていた、そんなある日のことである。


カァーーーーーーン、カァーーーーーーン


 鹿威しの音とは明らかに違う、金属音が山の奥の方から聞こえてきたのだ。その音に気がついた日寛は補修の手を止め耳を澄ます。

「・・・・・・あの音、は?」

「ああ、多分お庭番の稽古だろ」

 同僚で直接の指導役でもある中井がこともなげに言う。

「御庭番?」

 日寛は不思議そうに小首を傾げる。その姿に中井は呆れ果てたように大仰な溜息を吐いた。

「おい、知らないのか?ここは御文庫でもあるが、御庭番の根城でもあるんだぞ。というか上様を始めお偉方がここに来た時にその意を汲んで行動に移る、と言ったほうが正しいかな。上様や大御所様が直接御庭番に指示できるのはここくらいだぜ。あとは・・・・・・」

「あとは?」

「女間者だと奥向きで直接、ということがあるらしい。そっちの方はあくまでも噂の域を出ないからな」

「奥向きで、直接?」

 心なしか日寛の声が低くなる。だがその声音の変化に気づくこと無く中井は知っていることをペラペラと喋り続けた。

「ああ。昔は破壊寺なんかに捜査のため送り込まれていたらしい。流石に今はそこまで判りやすい捜査はしないだろうけどな」

「破壊寺、ですか・・・・・・私が以前いた感応寺みたいな」

 まるで感応寺にやってきたふみや真希のようだ、と日寛は心の中で思ったが、それは口に出さなかった。だが、捜査のために将軍や大御所付きの御庭番が忍び込むことは充分に考えられる。もしかしら――――――と思ったが、中井は『まだ大丈夫だろ』と笑い飛ばした。

「感応寺はお美代の方の息がかかっているから、大御所様がご存命の間はまだまだ大丈夫だろう。動きがあるとしたら今代様付の御庭番だろう。一気に動き出すぞあれは」

 そんな会話をしている内に、微かな金属音はいつの間にか消えていた。きっと若い御庭番が真剣を使った稽古をしていたのだろう。代替りがあった今年はあちらこちらに幕府の役人が出向いており、その中に御庭番が忍び込んでいることはあるかもしれない。

(いっそ浅木殿が御庭番で、ここで稽古をしていれば――――――)

 もしかしたら覗き見ることができるかもしれない、と一瞬思い浮かべてしまった日寛はその邪念を振り払うように首を左右に振る。

(いかんいかん!補修の時は集中集中!)

 僅かに髪が伸びかけた頭をかきつつ、日寛は作業に没頭し始めた。



 集中していたためだろうか、その日予定していた仕事は退出時間より少し早めに終わってしまった。せっかくなので新たな仕事に取り掛かろうとしたらそれは上司である平田に止められてしまう。

「次の仕事は少々厄介でな。全員の活きが良い時、というか明日の朝に会議を行いながらやるからそのつもりでいてくれ」

「会議をしながら?」

「ああ。かなり欠損が多い上にちょっと厄介な内容の文章なんだ。もしかしたら過去の御庭番の報告書かもしれない。物によってはそのまま廃棄しなければならないんだが・・・・・・それを取っておくべきか、廃棄するかも含めての会議だ」

「そんな重要な会議に某が参加しても宜しいのでしょうか?」

「ああ。むしろ『御文庫』の常識に囚われない、新しい視点も必要だからな」

 単純な読み物だけだったらどんなに楽か、とぼやく平田に日寛は思わず笑ってしまう。そして先に退出する非礼を詫つつ作業場を後にした。そとはまだまだ明るく、盛りを過ぎたとは言え紅葉狩りをするには最高の天候だ。

「流石に奥に行くことは出来ないけど、この近辺なら問題ないかな」

 紅葉山から出る道から脇へ逸れる小道に一歩踏み出す。その時である。鈍い殴打音が微かに聞こえたのである。きっと普通に本筋の道を通り山から出ていたら気が付か無かったであろう、それほどまでにかすかな音だ。先程の金属音といい、どうやら今日は御庭番の実践練習の日らしい。
 本来であれば近寄るべきでは無いのだろう。だがそんな理性よりも好奇心のほうが勝ってしまった。日寛は足音に気をつけつつ、音の方へ向かってゆく。

「危ないと思ったらもと来た道を戻ればいいだけさ」

 踏みしめる枯れ紅葉の音だけを立てつつ、日寛は道の奥へ、更に奥へと向かった。ほんのちょっとした好奇心を満たせればそれでいい――――――この道を戻れば多少退屈かもしれないが、安穏とした生活へすぐに戻れるはずだ、とこの時の日寛は思い込んでいた。

 だがその考えはこと紅葉山では極めて甘すぎる。好奇心に負け、山奥へと進んでいった日寛がこの道を戻ることは二度と無かった。




UP DATE 2016.11.16

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紅葉山文庫にやってきて、仕事も少しずつ覚え始めた日寛ですが、元々のやんちゃな性格、そして好奇心は抑えられなかったようです(>_<)
紅葉山奥から聞こえてくる金属音、そして殴打音に対する好奇心に負け、山奥へと進み始めてしまいました(´・ω・`)
予め言ってしまいますが、最後の一文が示すように日寛がこの道を戻り、武嶋の屋敷へ戻ることは二度とありません。果たしても紅葉山の奥で日寛に起こってしまう出来事とは天国なのか、はたまた地獄なのか――――――来週が十一月話最終話となります。よろしかったら最後までお付き合いくださいませm(_ _)m
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