「紅柊(R-15~大人向け)」
丁酉・秋冬の章

紅葉匂う・其の貳~天保八年十一月の覚悟

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 小春日和の柔らかな日差し、数寄屋造りの茶室に差し込む。その陽射を頬に受けながら、日寛は兄の益太郎に苦しい胸の内を語り始めた。

「あれは去年の今頃――――――浅木、という通り名の、大御所様付奥女中が我が感応寺にやってまいりました。恥を承知で打ち明けますと、将来的に良い金蔓になるのではと思いまして・・・・・・ですが、私はあの人に心を奪われたのです」

 言葉を選びつつ、語る日寛の言葉を、益太郎は遮ること無くただじっと聞いている。それを確認すると、日寛は更に続けて語りだした。

「情を初めて交わしたのは白藤の頃、その時はまだ心に余裕がありました。しかし今年の八月――――――先輩僧侶に声をかけられていたかの人を見た瞬間、私は嫉妬に駆られてしまったのです」

 その瞬間、感極まったのか日寛の目からぽろり、と涙が一粒零れ落ちる。

「激情に狩られるまま、彼女を衆目の中で犯しました――――――浅木殿は私だけのものだ。誰にも渡さないと。しかし、それ以後、かの人はこの寺に来なくなってしまったどころか文ひとつ返ってくることは無くなりました」

 ぽろり、ぽろりと次々に日寛の目から涙が流れてゆく。その涙をそっと袖で拭いつつ、日寛は兄の目をじっと見た。

「本当は背徳極まるこの寺から抜け出すべきなのでしょう。だけど、ここから離れてしまったら大御所付女官である浅木殿とは完全に会うことなどできなくなってしまう・・・・・・僧侶であるにも拘らず、恋路に迷っているのです」

 そこまで言い切ると、日寛は畳に両手を付き、嗚咽をし始める。ここまで己の気持ちを吐露したのは初めてだったのだろう。まるで幼子のように泣き続ける日寛に、益太郎は穏やかに声をかけた。

「迷っているのならこの寺から離れろ、寛之輔。いつまでも叶わぬ恋を抱えていても辛いだけだ。還俗するにしろ、巡礼に出るにしろ感応寺から一度離れろ」

 益太郎は弟を説得する。

「浅木殿、というお女中はもう二度とこの場には来ないだろう。きつい言い方だがお前はそれほど酷い事をしたのだ。これも神罰だと潔く事実を受け入れろ」

 兄の言葉はなまじ正論なだけに日寛の心を深くえぐる。だが、反論しようにもその言葉さえ浮かんでは来なかったのだ。

(神罰、か・・・・・・なら受け入れるしか無いじゃないか)

 初めての本気の恋を諦めるのは極めて辛いが、こればかりは致し方がない。日寛は黙ったまま兄の言葉に深く頷き、感応寺から離れ還俗することを承諾した。



 日寛の還俗はその日の内に兄・益太郎の口から感応寺側へと伝えられた。最初寺は難色を示したが――――――武嶋家は大檀家で多くのお布施も貰っていた――――――還俗代に加え多くのお布施の約束もした為、ようやく首を縦に振った。そうとなれば話は早い。

「寛之輔、荷物をまとめよ。還俗の一切合切は屋敷で執り行う」

 感応寺で還俗の儀式などを行おうものなら更にいらぬ金を支払わなければならなくなる。それでなくても寺としてあるまじき行為を行っているこの場所から一刻でも早く立ち去りたいと益太郎は強く思っていた。
 そんな兄の心情を察しつつ、日寛は早々と荷物を取りまとめ、兄と共に感応寺を後にした。



 久しぶりに帰ってきた番長にある武嶋家の屋敷は日寛が出家した当時のままだった。変わったのは益太郎が結婚して子供まで成していることと、父親が病で亡くなった事だろうか。幼子のはしゃぐ声は淫欲の寺で疲れ果てた日寛の心を癒やしてゆく。

「すみません、義姉上。暫しの間お世話になります」

 日寛は義姉の弓美に挨拶をすると、兄に導かれるまま暫くの間寝起きをする部屋へと案内された。

「あ、兄上?この部屋は・・・・・・私一人には広すぎやしませんでしょうか?」

 そこは八畳ほどある客間の一つだった。幾ら成人しているとは言え弟に、しかも妾腹の弟に宛がうには大きすぎる部屋だ。

「確かに一人で寝起きするには少々大きすぎるかもしれないが、子供たちが煩いからな。特に下のはまだ夜泣きをするから・・・・・・この部屋が俺達の部屋から一番遠い」

「そういうことでしたら」

 確かに弟とは言え『他所者』が寝室の近くに居ては落ち着かない。それ故のことであれば広すぎる部屋に気遣いは要らないだろう。

「では暫くの間、間借りさせていただきます」

 日寛は兄に頭を下げた。



 翌朝、日寛は遠くに聞こえる明烏の鳴き声で目が覚めた。朝の勤めなどしなくても良いはずなのに身体が覚えてしまっているのだろう。
 兄家族はまだまだ夢の中のはずだ。一番離れた部屋なので、多少の物音では起きることはないと思うが、日寛は静かに起き上がり障子と雨戸を開けた。空はようやく白みかけた頃で、日の出まではまだまだありそうだ。

「暫くは兄上に書物でも借りて読むのも悪くないな」

 出家してからは奥女中の相手ばかりで最低限の修行しかできなかった。勉学が強制されていた頃にはそっぽを向いていた書物や学問だったが、いざ手が届かなくなると無性に求めたくなるものなのだ。それはある意味『恋』に似ていなくもない

「浅木殿への想いは届かぬが・・・・・・勉学はその気になれば幾らでも求めることができるしな」

 取り敢えず今年いっぱいは兄のところで厄介になり、その後で別の寺院なり私塾なりで求めたい学問を修めればいい。その前に富士や伊勢、更に遠くの四国巡礼に行くのも悪くないだろう。淫欲の泥沼に閉じ込められていた昨日とは違い、今日からの日寛はどこまでも遠くに行くことができる立場なのだ。

(他に気が向いていれば、きっといつかはこの辛い想いも思い出に変わるだろう)

 ひんやりとする朝の空気を胸いっぱいに吸い込みながら、日寛は更に明るくなってきた空を見上げた。



 やんちゃで不良仲間とつるんで遊んでいた日寛だが、決して勉強が嫌いなわけではない。ここぞとばかりに兄から借りた論語を読破しようと読書三昧の日が数日続いた後の事である。夕餉の前、いつもより少し早く帰ってきた益太郎が日寛に声をかけてきた。

「寛之輔。お前、経典の補修とかしたことはあるか?」

「ええ。真似事程度ですけど・・・・・・どうかなさいましたか?」

 淫欲の寺と揶揄されても、感応寺は一応寺院である。それだけに経典もあるのだが、何せ管理が疎かでよく虫に食われていた。流石に見るに見かねて日寛を含む二、三人の僧侶で修復の真似事をしていたが、専門職ではないのでせいぜい穴の開いた部分に紙を貼り、新たに文字を上書きする程度の修繕だ。
 それを告げつつ兄に尋ねると、益太郎は困惑の表情のまま事情を説明した。

「実は補修要員の一人が急病で倒れてしまったんだ。しかもだいぶ年齢も行っていて・・・・・・このまま引退という運びになるだろう。だから補修要員を増やしたいんだが、そう簡単に補修の技術を持ったものを見つけることもままならなくて」

「しかし補修するのは御文庫の蔵書ですよね?流石に荷が重いですよ」

「勿論きちんとしてやり方は教える。全く何も知らない者よりはマシだろう。できるか出来ないかは補修の練習の際に決めるから、取り敢えず明日一緒に出仕してくれ」

 何せ厄介になりっぱなしの兄からの頼みである。ただでさえ断ることなど出来ないが、日寛にはもう一つの思惑があった。

(紅葉山なら・・・・・・西の丸にも近い)

 今は隠居所になっている西の丸付の女中が、紅葉山文庫に出てくることなど絶対にないのだが、近くに気配を感じられるだけでも今の日寛には慰めになる。

「承知しました。では明日から紅葉山へ出仕いたします」

 日寛の返事に益太郎はホッとした笑みを浮かべた。



 燃え盛るような紅の紅葉山が暮れなずむ頃、その奥から荒い息遣いと刀剣が交わる金属音がきこえてくる。

「もう一本・・・・・・もう一本お願いいたします、お師匠様!」

 張りのあるその声は、ふみのものだった。どうやら剣術の稽古をしているらしい。そんなふみに対し、相手である師匠――――――本條は穏やかな声音でふみを宥めた。

「今日の稽古は終いじゃ。幾ら稽古を重ねても、心が乱れていたら技は身につかぬ」

 穏やかだが鋭い指摘にふみは言葉を失う。

「強く――――――愛しい男を殺められるほどの強さを持ちたいというそなたの気持ちも判らぬではない。だが、本当にそうなってしまったら後悔を一生抱えて行きていくことになるぞ」

 図星を指された形になったふみだが、ふと本條の言葉に引っかかるものを感じて尋ねた。

「もしかしてお師匠様にも・・・・・・そんな御方がいらっしゃったのですか?愛しいのに殺めなければならないような御方が」

 すると本條は自嘲気味な笑みを浮かべつつ口を開いた。

「まぁな。私にとって、初めての男だった。まだまだ私も子供だったから、相手に溺れてしまったが・・・・・・上様暗殺を企てたその男を許すわけにもいかなかった」

 本條の言葉にふみ言葉を失う。

「あれは計画を実行するという前日――――――あの男もそれ相応の覚悟を決めていたのだろう。私を呼び出して情を交わした。それが、命取りだったがな。事が終わったその瞬間、簪で盆の窪を貫いた」

 青ざめるふみに、本条はどこまでも穏やかに語りかける。

「何もつらい仕事に従事しなくとも、御庭番の仕事など幾らでもある。特に今は代替りで我らが他国に入る口実も多くなっている。暫しの間、江戸を離れれば、時がそなたの傷を癒やしてくれるだろう」

 それはふみにではなく、本條自らに言い聞かせているようにふみには聞こえた。

「時が、経てば・・・・・・」

「ああ。一年かもしれないし、十年かかるかもしれないが、どんな辛い出来事も思い出に変わる。でなければ人は行きていくことさえままならぬだろう」

 それは自らの手で愛しい男を殺めた御庭番の言葉、それだけに重たいものである。

(しかし、相手を殺す勇気さえなく、ただただ翻弄されるまま逃げ帰ってきた私にそれが許されるのだろうか)

 ふみに背中を向け、西の丸へと帰ってゆく本條の背中を追いかけながら、ふみは迷いの中にいた。




UP DATE 2016.11.9

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時間が解決してくれる―――互いの年上の先達はそう言って二人に叶わぬ恋を諦めさせようとしております(´・ω・`)
確かに二度と逢えないかもしれない、あまりにも不毛な出会いと別れとなれば大人はそう進言せざるをえないでしょう(´・ω・`)
そして日寛とふみもその言葉に従おうと努力しております。
普通ならここで交わることのない二人なのでしょう。しかし益太郎が勧めた日寛への新しい仕事―――本の修復によって日寛はふみが勤めている江戸城へ入ることになります。しかも紅葉山は御庭番の根城でもあるという・・・。
果たして二人は再び出会えるのか?それともニアミスさえせずにそのまま時が過ぎ去ってゆくのか・・・次回をお楽しみくださいませm(_ _)m
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