「紅柊(R-15~大人向け)」
丁酉・秋冬の章

七代目御披露目と猶次郎の再挑戦・其の参~天保八年九月の御様御用

 ←烏のおぼえ書き~其の百六十五・昭和初期の古本屋街 →烏のまかない処~其の二百七十三・鮭の幽庵焼き
 静寂の中、鈴虫の声だけが秋風に乗って白洲を通り抜ける。いつもの試し切りや例年の御様御用であれば牢屋敷の壁によじ登って中を覗き見る野次馬たちのさんざめきも聞こえてくるのだが、今年に限ってはそれさえもない。
 その異様な静寂に全く気がつくこと無く猶次郎は担当の刀を大きく振りかぶった。


(今回が・・・・・・今回が最後の機会や)

 今回の御様御用が終わったら猶次郎は国許へ帰らねばならない。となると二度と汚名返上の機会は無くなるのだ――――――そんな不安を一蹴するように猶次郎は一回大きく息を吸い、そして吐き出す。その刹那、猶次郎な手にしていた刀はすっ、と振り下ろされた。

「――――――お見事」

 鈴虫の鳴き声に、腰物奉行の声が重なる。それと同時に張り詰めていた空気が緩み、感歎の声が所々から湧き上がった。

(何とか・・・・・・無事一振り目は終わったな)

 まだまだ御様御用は続くが、一番緊張する一振り目が無事に終わったのである。後は油断せずに最後まで勤め上げること――――――切羽詰まった状況ながら、落ち着きを取り戻した猶次郎は更に次の一振りに手をかけ、身構えた。



 後藤改山田五三郎の七代目披露の御様御用、及び猶次郎他二名の御様御用は予定よりもほんの少し早く無事終了することが出来た。元々云われていた刀剣の他、槍と薙刀各一振りずつ増加していたにも拘らずである。
 その手際の良さは、次世代も無事御様御用を勤め上げられる人材が揃っていることを意味する。二百年以上続く太平の世の中、刀を傷めず扱える人材を揃えるのも一苦労なのだ。そんな明るい未来を彷彿とさせる御様御用が終わり、門弟全員が牢屋敷前庭の白洲に揃った時である。奥で見学していた紀州公が声をかけてきたのである。

「本日の御様御用、誠に見事であった。山田五三郎よ」

「はっ」

 名指しされ、五三郎は頭を上げた。

「大樹公名代として告げる。これから先、末永く将軍家の試し物を任せることになるから、ゆめ修行を怠るな」

「御意」

 ここまでは型通りの挨拶である。五三郎も、そしてその場に居た皆もこれで紀州公の言葉は終わりだと思いこんでいた。だが紀州公は更に予想だにしていなかった者の名も告げたのである。

「広田猶次郎」

「は、はっ!」

 思わず出そうになる御国言葉を辛うじて飲み込み、武家言葉で猶次郎は返事をする。

「わが兄・・・・・・大樹公からの言葉だ」

 そう言って紀州公はちらりと隣の人物に視線をやった。その瞬間、猶次郎は頭巾を被ったその人物が誰なのか、ようやく理解する。

(ま、まさか・・・・・・大樹公がこんなところに?)

 だが、考えてみれば不思議なことではない。次世代の――――――言ってみれば自分の代の刀剣の御様御用を任される若者の御披露目である。その腕を自らの目で確かめたいと思うのは武士の頭領として至極当然だろう。そう思うと急に緊張感が湧き上がってくる。そんな猶次郎の心情を知ってか知らずか、紀州公はさらに言葉を続けた。

「大樹公は御自らの戯れにそちを巻き込んでしまったことを心苦しく思われている。特に山田浅右衛門七代目を決める御様御用にあのような駄作を紛れ込ませてしまったと」

「い、いいえ!め、滅相もない!!」

 猶次郎は顔面蒼白になりながら平伏してしまう。その声は上ずり、御国訛が出てしまっていたがそれを訂正する余裕など今の猶次郎には無い。

「下の者の状況を鑑み、相応しい振る舞いをするのも大樹公の勤め。当時は西の丸であったことを考慮してもあれは浅はかだったと悔やんでおられる」

 紀州公は穏やかな微笑みを浮かべつつ、腰物奉行を呼び寄せる。そして頭巾を被った謎の人物から受け取ったものを、そのまま腰物奉行に手渡した。それを手にしたまま、腰物奉行は猶次郎が平伏している白洲まで降りてくる。

「広田猶次郎、面をあげよ」

 腰物奉行は重々しく猶次郎に声をかけると、渡されたものを猶次郎の前に差し出した。

「紀州公からの賜り物だ。ありがたく頂戴するように」

 『紀州公の賜り物』と言う割には、腰物奉行の声はやや強張っている。その声音に気がついた猶次郎は恐れおののき小刻みに震え始めた。

「わ、わてが頂いてしもうても、宜しいんで?」

「当たり前だ」

 小声ではあるが少し強い口調で腰物奉行は叱責すると、手にしていたものを猶次郎に渡す。それは袱紗に包まれた小さなものだったが流石にこの場で開くことは出来ない。だが、開かずともそれは猶次郎を更に慄かせるのに充分すぎるものだった。

「あ、葵の御紋・・・・・・しかもこれは」

 猶次郎は思わず息を呑む。同色で目立たないものの、その袱紗には明らかに徳川の三葉葵、しかも現役の将軍のみが使用を許された紋が浮かんでいた。間違いない、目の前に位る謎の頭巾の人物は新将軍・徳川家慶その人なのだ。

「あ、ありがたき・・・・・・幸せにござります」

 この場所に来た本来の目的は五三郎の腕を見るためだろう。だが、自分の事も気にかけてくれていたのだ――――――感激のあまり猶次郎は袱紗を胸に抱きしめ、その場に蹲るように崩れ落ちてしまった。



 御様御用の後始末及び幕府各所への挨拶を一通り終え、門弟たちが平河町の山田道場へ戻ると女衆によって既に宴の準備がなされていた。今回は五三郎の実質上の七代目披露や猶次郎の婚約披露という側面もあるため、門弟達の妻や家族が総出で準備に取り掛かったらしい。

「これじゃあ芸妓に一声礼を言うのも難しそうだな」

 せわしなく準備に取り掛かっている女衆の顔ぶれを見て為右衛門が苦笑いを浮かべたその時である。皆を出迎えるため、襷を掛けたままの幸が奥から出てきたのである。

「皆様、お帰りなさいませ。既に恵比寿屋のきれいどころも来てますよ。奥様方もいらっしゃいますけど・・・・・・ほどほどであれば片目を瞑りましょうと」

 幸の一言に、既婚者達は思わず安堵の声を漏らした。御様御用の成功は、早飛脚で既に道場に伝えられていた。それだけに女衆も浮かれているのだろう。多少の戯れくらいであればお咎めなしとの言葉に、男たちは俄にはしゃぎだした。

「となると、気の毒なのが川越組だよなぁ。門限があるし・・・・・・」

「その件に関しましては川越藩からも宿泊許可を頂きました。というか」

 幸が五三郎に近づき耳打ちをする。

「大樹公から特別の命が下ったんです。去年の件がよっぽど心苦しかったんでしょうね。この度の祝いの席に関しては関係者全員の外泊を許してやってくれ、って六代目からの早飛脚よりも更に早く届きましたもの。そして確認したら他の藩庁にも連絡が行っていました。なので今夜は全員外泊大丈夫です」

 そう言って差し出されたのは葵の御紋の透かしが入った書状だった。非公式の書状であるからかなり簡素なものだったが、それでも将軍家の格を感じさせるものだ。

「こ、こんなものがわざわざ?」

 書状を手に取った五三郎が驚きの声を上げる。

「ええ。だから去年のことが相当引っかかっているんでしょう」

 色々気遣いをなさる御方らしいですから、と幸は義姉の真希から聞いた話を五三郎に語りつつ、読み終えた手紙を受け取った。

「ということで、今夜は忙しくなりますよ旦那様。後で豊岡の江戸家老様もこちらに参られて、猶次郎さんたちの仮祝言をすることにもなっていますので」

「か、仮祝言?また急な話だな!」

「これも上からの命令みたいで・・・・・・本当は猶次郎さんに江戸に残るように、って話もあったらしいんですけど、流石にそれは急すぎて無理だということで。で、それならできるだけの事をするように、との命令をどう解釈したのか、江戸家老さまが」

 苦笑いを浮かべる幸につられるように、五三郎も思わず苦笑いを浮かべた。

「あの人は豊岡、というよりも江戸者の気風が強いからなぁ。ま、お倫ちゃんが近くにいるのに禁欲を強いられていたんだから良いんじゃないか?」

 五三郎の言葉に幸も同意する。江戸家老の家に預けられていたとは言え、猶次郎の身の回りの世話を一ヶ月以上行っていたのは他でもない倫であった。今までは御様御用の重圧からそれどころではなかっただろうが、その重荷が取れた今、やはり色々な意味での『仮祝言』は必要だろう。
 奥の部屋では既に宴が始まっており、仮祝言の話を聞かされた猶次郎が、着替えのため年配の女衆によって別部屋へ連れて行かれるのも見えた。

「今夜は一晩中飲み明かしだな」

「そうですね。でもあまり飲みすぎないでくださいよ、旦那様」

 そんな会話を交わしつつ、二人は宴が行われている大広間へと向かっていった。



UP DATE 2016.9.21

Back   Next


にほんブログ村 小説ブログ 歴史・時代小説へ
INランキング参加中。
お気に召しましたら拍手代わりに是非ひとポチをv


  
こちらは画像表示型ランキングです。押さなくてもランキングに反映されます。
(双方バナーのリンク先には素敵小説が多数ございます。お口直しに是非v)

 



猶次郎の御様御用、何とか無事終えることが出来ましたε-(´∀`*)ホッ
なんだかんだ言っても去年のトラウマが消えることはないでしょうし、そこをどう乗り越えていくかというのが重要だったのですが、今年は程よい緊張感を持続しながら御様御用に臨めたようです(*^_^*)

そして奥で見ていた謎の人物は、やはり新将軍・家慶でした(≧∇≦)何せ父親があんな感じの人ですから、将軍でありながら結構気遣い、気苦労が多かった方だったとか・・・だからこそ、自分が戯れに作った刀によって御様御用を失敗することになった猶次郎のことが心に引っかかっていたのでしょう。幸い五三郎の披露というものあり、それを兼ねて猶次郎を直接見に来たのかもしれません(*^_^*)

来週は拍手文、来月の紅柊はまだ決まっていないのですが、とりあえずエロをやらせていただきます(`・ω・´)ゞ
関連記事
スポンサーサイト

 関連もくじ一覧 ▼ 
総もくじ 3kaku_s_L.png vague~道場主・作間駿次郎顛末記
総もくじ 3kaku_s_L.png 夏虫~新選組異聞~
総もくじ 3kaku_s_L.png 紅柊(R-15~大人向け)
総もくじ 3kaku_s_L.png 葵と杏葉
総もくじ 3kaku_s_L.png 横浜慕情(大人向け)
総もくじ 3kaku_s_L.png 短編小説
総もくじ 3kaku_s_L.png VOCALOID小説
総もくじ 3kaku_s_L.png 雑  記
総もくじ  3kaku_s_L.png vague~道場主・作間駿次郎顛末記
総もくじ  3kaku_s_L.png 夏虫~新選組異聞~
総もくじ  3kaku_s_L.png 紅柊(R-15~大人向け)
総もくじ  3kaku_s_L.png 葵と杏葉
総もくじ  3kaku_s_L.png 横浜慕情(大人向け)
総もくじ  3kaku_s_L.png 短編小説
総もくじ  3kaku_s_L.png VOCALOID小説
総もくじ  3kaku_s_L.png 雑  記
もくじ  3kaku_s_L.png 未分類
【烏のおぼえ書き~其の百六十五・昭和初期の古本屋街】へ  【烏のまかない処~其の二百七十三・鮭の幽庵焼き】へ

~ Comment ~

管理者のみ表示。 | 非公開コメン卜投稿可能です。

~ Trackback ~

卜ラックバックURL


この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

  • 【烏のおぼえ書き~其の百六十五・昭和初期の古本屋街】へ
  • 【烏のまかない処~其の二百七十三・鮭の幽庵焼き】へ