「紅柊(R-15~大人向け)」
丁酉・秋冬の章

猶次郎の許嫁・其の参~天保八年七月の再会

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 四半刻後、倫は表情を強張らせたまま庭で行われている稽古を見つめていた。この日稽古に使われた胴は二体、行き倒れの亡骸はともかく首を斬られた罪人の胴を初めて見る倫はそれらが運ばれてきた瞬間息を呑む。そして胴が土壇に据えられ、着々と準備が整っていくにしたかって顔色も青ざめていく。

「お倫様、大丈夫ですか?もしご気分が優れないようでしたら隣のお部屋でお休みになられても」

 倫の表情の変化に気がついた幸が心配そうに尋ねる。いくら気が強いとはいえ、初めて目のあたりにする『本物の胴』を使った試し切りである。怯えるなという方が無理だろう。しかし倫は顔を青ざめさせつつも気丈に幸に応えた。

「へ、へえ。今のところは大丈夫です。もう少しだけ見学させてもらいます」

 決して大丈夫そうには見えなかったが、本人が見学したいというものを止めさせるわけにも行かない。幸は微かに苦笑いを浮かべつつ、土壇の方に目をやった。

「これからあの胴を使って稽古をしてゆきます。今年は主人が山田家の婿になったお披露目と猶次郎さんの二度目の御様御用、あとは新人二人の初御様御用となります。特に猶次郎さんは・・・・・・」

 幸は言いかけたが、言い淀んで口を噤む。何か言い難いことでもあるのだろうか――――――倫は心配になリ、幸に尋ねた。

「あの、猶次郎はんが何か?」

「去年の御様御用で出された御刀を一本、折ってしまっているんです」

「折っているって・・・・・・公方様の?」

 倫の顔が蒼白になる。実はその話に関しては箝口令が敷かれており、御様御用に立ち会っていた藩主の京極とその側近、そして後に藩主から直接話を聞かされた江戸家老しか豊岡藩では知る者はいなかった。写しだったとはいえ将軍家の刀として出された御刀である。藩の不名誉でもある猶次郎の失敗は闇に葬り去られるべきものなのだ。
 その話を初めて聞いてしまった倫は、それこそ失神しそうなほどの衝撃に襲われる。

「そんな顔をしないでくださいませ。その御刀はいわば贋作――――――今の大樹公が西の丸様だった頃、お戯れに作られた疱瘡正宗の写しだったんです。流石に素人の作った刀ですので少し力の入れ方を間違ってしまうと折れてしまって」

「お咎めは・・・・・・」

「勿論無しですよ。弟君であらせられる紀州様も呆れられていたとか・・・・・・ただ、今年は去年のような失態を犯すわけにはいきません」

 穏やかではあるが厳しさを含んだ幸の一言に、倫は唇を噛み締め背筋を伸ばす。

「去年の御様御用は、七代目山田浅右衛門を決定するための場だったこともあり、南北江戸町奉行や山田浅右衛門を贔屓にしてくださっている大名、旗本が立ち会われました。勿論甲斐守様も・・・・・・写しとはいえ、大樹公の御刀を折るという失態はその為でしょう」

「では、今年はそこまでの重圧は無いと?」

 倫の言葉に微かに明るさが戻る。だが、次に発せられた幸の一言は更に厳しいものだった。

「確かに。だからこそ失敗は絶対に許されないんです」

 きっぱりと言い切ると、幸は再び庭先に目を向ける。それにつられて倫も庭先に目をやると、丁度猶次郎が刀を胴に振り下ろすところだった。力んでいる様子は全く見られなかったが、刀はすっ、と胴の腰のあたりに吸い込まれ、胴をすぱっ、と断ち斬る。その腕前は剣術をろくに知らない倫でさえも優れたものであると理解できるほどだ。

「あの通り、実力は全く問題ないんです。たった四年で御様御用を任されるほどですから。ただ、去年の失敗を引きずらないかどうかだけが私共一門の心配事ではあります」

 そして改めて幸は倫へ顔を向けた。

「ご無理を招致でお願いしたいのですが、猶次郎さんの御様御用が終わるまで、江戸に居ていただくことは出来ませんでしょうか?豊岡の藩庁からは山田浅右衛門からお願いさせていただきますけど」

「え?せ、せやけどうちなんかがいたら、却って邪魔に・・・・・・」

 猶次郎の側にいられるのはありがたいが、それが却って妨げになりはしないかと倫は心配そうに尋ねるが、幸はゆっくりと首を横に振った。

「そんな事はございませんよ。支えになってくださる方がいたほうが彼の場合良いと思いますので。あ、婚前であるということが心配でしたら問題ありません。来月早々には一ヶ月の精進潔斎の期間に入りますので、お倫さんの貞操は確実に守られますよ」

「精進、潔斎?」

 聞き慣れない言葉に、倫は小首を傾げる。

「ええ。二度目の御様御用ならばそこまで神経質にならなくても、と思うのですが、猶次郎さんは初めて臨むつもりで一ヶ月の精進潔斎を行うことになっています。その際の身の回りの世話もできればお願いしたいのですが――――――やはりご無理でしょうか?」

「・・・・・・藩の、許可が出れば問題あらへんと思います」

 自分は問題ないが、藩の許可が出るかが判らない――――――そう言葉を選びながら倫は答える。

「それならばありがたいです。では今日の稽古が終わった後にでも申請させていただきますね」

 穏やかな口調とは裏腹な、幸の強引な話の進め方に、倫は頷くことしか出来なかった。



 その日の夕方に藩庁には伝える、と幸は倫に言っていたが、実際はもっと早くに申請は出されたらしい。猶次郎と倫が藩邸に帰ると江戸家老から呼び出され、倫の江戸在府の延長が告げられた。つまり猶次郎の稽古中に山田家から豊岡藩庁に申請が出され、倫の暫くの江戸在府が決定されていたのである。

「山田浅右衛門先生直々の申請や。流石に去年の二の舞いだけは避けなあかんしな。今年は殿も国許へ戻られてはるし、去年ほどの重圧はかからんやろうけど、支えがあったほうがええやろう、と」

 猶次郎にそう告げると、未だ頭を下げ続けている倫に面を上げるように江戸家老は命じた。

「と、いうことや。国許の親御には江戸藩庁から三日後に手紙を出す。せやから、もし何か親御に伝えたいことがあるんやったら、それまでに手紙を書いておくように」

 緊張で固くなっている倫を出来るだけくつろがせようと、江戸家老は砕けた口調で倫に語りかける。だが、その効果はあまり無かったようだ。

「へぇ。そうさせていただきます」

 倫は一瞬だけ頭を上げたが、再び顔を強張らせたまま深々と頭を下げてしまった。



 江戸にいる間、流石に猶次郎との同居は世間体的に問題だろうとの事で、倫は江戸家老の屋敷で世話になることとなった。これも山田家の口添え故である。そして二人は倫の荷物を運ぶために、一旦猶次郎の長屋に戻った。

「取り敢えず、江戸家老様のところでお前の面倒を見てもらえるだけでもありがたいな」

 昨晩は寝る場所がなく、倫に自分の布団を貸して猶次郎は畳の上にごろ寝をした。だが、一日二日ならともかく、御様御用前の大事な時期にこれを何日も続ける訳にはいかない。
 それ以上に猶次郎にとって厄介だったのは無邪気な倫の寝顔だった。三月後には夫婦になる相手だが、婚前に手を出すようないい加減な真似はしたくない。だが、その決意さえ揺らぎかねないほど、倫の寝顔は愛らしかった。

「せやな。流石に猶ちゃんを畳の上に寝かすわけにもいかへんし・・・・・・しかし、もうちょっとええ布団、買えへんの?こんな煎餅布団じゃ床で寝てるんと変わらへんえ?」

 倫は部屋の隅に畳んだ布団をポンポンと叩きながら唇を尖らす。

「別にええよ。どうせ十月には国許に帰るんやから。その代わり国許に帰ったら、新床はまっとうな布団にしてやるから安心しぃ」

 何気なく猶次郎が呟いたその瞬間、倫は茹で蛸のように真っ赤になった。

「な、な、猶ちゃんのすけべっ!う、うちはそんなつもりで言うたんや・・・・・・ない」

 最後の方は聞き取れないほど小さな声になる。その時、猶次郎は初めて自分が『新床』――――――つまり新婚初夜を匂わす一言を零してしまったことに気がついた。だが、ここで慌てふためいてしまったら余計に変なことになりかねない。猶次郎は平静を装い、倫の額を軽く小突く。

「な~にがすけべや。三月後には祝言挙げるんやで?当然の話やないか。変な妄想している暇があるんやったらさっさと荷物まとめて家老様の屋敷に行きや」

 冗談めかしながら倫を促す猶次郎だったが、内心ドキリ、としたことは否めない。

(全く、変なことを言うてからに・・・・・・ほんま、ご家老様のとこで預かってもらえて助かったわ)

 でなければ精進潔斎どころか、婚前の許嫁に手を出してしまいかねない。猶次郎は己の想いを押し隠しつつ、倫を出来る限り早く家老屋敷へと追いやろうと倫を急かし始めた。




UP DATE 2016.7.20

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・・・てなわけで、倫も暫くの間(というか猶次郎の御様御用が終わるまで)江戸に残ることになりました(≧∇≦)
とは言ってもいちゃつけるわけじゃないんですけどねぇ(^_^;)
なので倫としては『試し者芸者』の妻としての勉強を2~3ヶ月にわたってできることとなりましたし、猶次郎も倫のサポートを受けられるようになったわけです(#^^#)これが猶次郎のパワーになってくれるのか、はたまた変な緊張の元になりかねないのかはびみょ~なところですが(-_-;)うまく御様御用が運んでくれると良いんですけどねぇ。
この二人に関しては9月話『猶次郎の御様御用』にて語らせていただくことになりそうです(*^_^*)
(一応、五三郎の『婿入り報告』がメインの御様御用なのですが・・・だからこそ注目がそっちに行って、緊張しいの猶次郎が無事御様御用を果たせるかも、と考えているのかもしれません、山田一門のおっさんたちはwww)

来週は拍手文で『お月見』を(ただし、仙吉&お鉄の二人きり、というわけにはいきません( ̄ー ̄)ニヤリ)、8月は日寛&ふみのエロで行かせていただきます(๑•̀ㅂ•́)و✧
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