「雑  記」
烏のおぼえ書き

烏のおぼえ書き~其の百三十八・書物奉行

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今回の記事を書くにあたって初めて知ったのですが、どうやら歴代将軍はかなり本好きだったようですね。そんな将軍らが蒐集したおびただしい書物の管理をしていたのが書物奉行です(*^_^*)

そもそも現代と違って印刷技術が発達していない幕府設立当時、一冊の本さえ手に入れるのだって困難だったはずなのに家康は江戸城内に富士見亭文庫を創設しております。『文庫』と銘打つくらいですから当時としては相当数の蔵書があったのでしょう。贅沢とは無縁なイメージが有る家康ですが、もしかしたらこれが私物として最大の散財だったのかもしれません。でも気持ちはわかる、気持ちは(^_^;)(←私も本だと見境なく散財するタイプなのでwww)
更に家光が富士見亭文庫の書物を紅葉山下の書物蔵に移動し、これを紅葉山文庫と名づけました。これは樹木が生い茂っている紅葉山は火災が発生しにくく、蔵書を守ることに適しているからという理由に拠るものとのこと。霊廟などもありましたし、紅葉山は徳川家にとって本当のお宝を保管する場所だったのでしょうね。

そんなお宝である書物の管理を任されたのが書物奉行です。この役職が出来たのが寛永十年(1633年)、家康が遺した蔵書の整理と管理を目的に作られた役職でした。しかしこの役職、その俸給にかなりの差が・・・基本的には二百俵七人扶持なのですが、『書物への造詣が深い』という独自の基準も入り込むため、少ない人で40俵、多い人で千石の扶持の書物奉行がいたとのこと(^_^;)天文方同様実力主義の役職だったそうです。
その良い例が青木昆陽。『甘藷先生』として知られる彼ですが、魚問屋の息子でありながらその学識の深さを吉宗に認められ、紅葉山文庫の閲覧を許されました。更に書物御用達に任じられ、最終的に七十歳で書物奉行に任じられたとか・・・。その他、択捉島など北辺開拓で知られる近藤重蔵、天文学者でありながらシーボルト事件に連座し、獄死した高橋景保らの学者も書物奉行だったそうです。彼らは蔵書整理の傍らそれらの書物に目を通すことも可能だったわけでして、それらが彼らの知識を磨いたのでしょう。
身分制度がまかり通っていた江戸時代ですが、(政治以外の)本当の実力者には仕事と称して学びのチャンスを与えていたのかもしれません。

次回おぼえ書きは3/14、奥絵師を取り上げたいと思います(*^_^*)




【参考・引用文献】
お江戸の役人 面白なんでも事典(中江克己著 PHP文庫)


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